2×1
2歳新馬戦がスタートして間もない今年の6月。当日版の本紙担当であり、想定班として竹内正洋厩舎の担当でもある吉岡TMから「こんな新馬がいるんですよ」と見せてもらったのが、その竹内厩舎の2歳牡馬ショウナンパーリオの血統表でした。 少々アンテナの錆びついてきた私は、吉岡TMに教えてもらって初めてこのシンボリクリスエスの1×3というクロスを持つ2歳馬の存在を知ったのですが、当時、すでにネット上などではそれなりの話題になっていたようです。 さて、そのショウナンパーリオですが、父はシンボリクリスエス、母がショウナンハッブルで、このショウナンハッブルがシンボリクリスエスの孫娘。何というか……、人間の世界であれば倫理観を問われるような交配の結果、ショウナンパーリオはこの世に生を受けたことになります。勿論、それはあくまでも人間の世界なら≠ニいうこと。ただ、近親交配が容認される競走馬の生産においても、あまりに過度の近親交配はやはり特異なケースで、だからこそ話題にもなる訳です。 遠い記憶をたぐってみると、私が学生時代にも強い近親交配で話題になった馬がいました。それがオーリンズシチーという牡馬。こちらは父が天皇賞馬のアイフル、母がグレイスパワーという配合でしたが、実は、アイフルもグレイスパワーも昭和の大種牡馬セダンの産駒。つまり、このオーリンズシチーはセダンの2×2ということになります。競走成績を見てみると、昭和58年1月の東京戦でデビューしたオーリンズシチーは、その後、小倉の九州産4歳特別(現在の500万)に未勝利の身で出走して5着入着を果たしています。しかし、これが生涯唯一の入着記録。結局、5戦して未勝利という成績でオーリンズシチーは現役を退いています。 私が過度の近親交配というものを意識したのは、このオーリンズシチーがキッカケでした。そして、この2×2をも上回る2×1という究極の近親交配の例がかつてあったことを知ったのも、確かこの頃だったと記憶しています。この当時に読んだある記事で紹介されていた2×1の例が、マイユートピアという馬でした。昭和12年生まれですから、前述のオーリンズシチーよりも更に時代を遡ることになります。 そのマイユートピアですが、父はミラクルユートピア。昭和9年の東京優駿(日本ダービー)において断然の本命に推されながら、レース当日の調教で脚を痛めて出走を取り消し、そのまま引退した幻の名馬です。 引退を余儀なくされて種牡馬入りしたミラクルユートピアでしたが、『サラブレッド血統書 第一巻』によると、その種牡馬生活において、何と、自身の母親であるエミールという繁殖牝馬と交配された記録が残っています。その結果誕生したのが、昭和12年に室蘭のユートピア牧場で生産された血統名・第四ミラクルユートピア。この牡馬こそがマイユートピアでした。しかし、そのマイユートピアは競走馬デビューこそしたものの、2シーズンを走って未勝利。結局、勝ち星を挙げることができないまま現役生活を終えたようです。
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