気の持ちようかな
叱られて、散々説教されて落ち込んでも、すぐに立ち直ることができた。若い頃は肉体的に元気だったのは勿論、精神的にもどこかで将来に期待をして、前向きな気持ちでいられたのかもしれない。
数週間前、偶然か、必然かは良くわからない。なぜか、悪いクセや悪いところを立て続けに指摘されることがあった。大人数で呑んでいても、生きることについての考え方についてまで駄目出しをされた。
言い分がないわけではなかった。しかし、どこかに思い当たる節もあった。反論する気にならず、素直に受け止めて、妙に考え込んでしまった。
つい先週までそれを引きずっていた。一晩寝たらスッカリ忘れるというわけにはいかない。何をしていても、どこかでふと考えてしまう。別に嫌なことなどないのに、急に気持ちが暗くなったりしていた。
しかし、こんなにいろいろ言われたのはいつ以来だろうか……この10年くらい、何にも考えずに幸せに過ごしてきたのかもしれない。
どこかで区切りみたいなものがあって、中堅になりベテランになるのだろうとぼんやり思っていた。しかし、そんな区切りは一切なく、いつのまにか中堅になり、いまやベテランの域に入ろうとしている。
気がつけば仕事の相手も、自分より年下の人間ばかりだ。それなりに気は使っているつもりでも、さすがにずけずけとは言いにくい。自然と我慢させているところはあったのかもしれない。
先輩なら何気なく指摘できることでも、後輩だとそうはいかない。自分自身にも後輩に言われて、素直に受け止められるだけの自信はなかったような気がする。
先日、ぶらっと東山魁夷記念館に行ってきた。
中山競馬場のある船橋市のすぐ隣、市川市に2005年に開場して約12年。自宅から歩いて15分くらいで、毎週のように目の前をバスで通過していた。
頭の片隅には常にあった。だけど、なかなか足が向かなかった。
もっとも、日本画にそれほど興味がない。昔、中山競馬場に飾ってあった大きな絵が妙に印象的だったので、名前を覚えていた程度。洋風の立派な建物が、法華経寺近辺の和風な住宅街に突然表れる風景に、いい雰囲気は感じていたものの、なかなか行く気にはならなかった。
急に行く気になったのは、精神状態がいつもと少し違っていたからかもしれない。何かいつもと違うこと、特に芸術に触れれば少しでもマシになるんじゃないか。そんな期待があったかもしれない。
火曜日の午後、閉館の約2時間前だったせいか、人はまったくといっていいほどいない。自分の足音でさえ響くような、静寂の中でじっくりと観ることができた。
1階の年表や生い立ちからの説明をじっくりと読み、本格的に評価されたのは40歳手前ぐらいで、風景画に目覚めたのもその頃だということ。そして、その後の半生は市川で過ごしていたことを知った。
それを踏まえて2階の展示エリアへ。部屋の中は記念館の人と自分の二人だけ。近づいたり、距離を取ったりしながらゆっくりと鑑賞。作品の良さはわからなかったけれど、なかなかにいい時間を過ごすことはできた。
それにしてもその作品のほとんどが市川市で描かれて、40代からの充実期を迎えたのが、今、自分が住んでいる市川市だったと思うと急に縁を感じてしまう。
自分はもう少し年を重ねて40半ば。これから充実期とはいかないかもしれないけれど、何かに目覚める可能性はあるといえなくもない。いずれにしても、少しマシな方に持っていけるいいチャンスかもしれない。
日本画に目覚めそうな感じはなかったけれど、吸い込まれそうになる迫力のある絵を観ていたら、うんと元気は出てきた。芸術の力。そんなものをうっすらと感じて、ようやく、皆から受けた批判も素直に消化することができたような気がする。
とにかく、もう少し考えて、うまくコントロールしながら生きていけるよう、この夏はいろんなものを観て、いろんなことに触れながら、気持ちを整理しなければと感じた次第でした。
美浦編集局 吉田幹太
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