行き届く
人に褒められることなど滅多にないが、先日、ちょっとした行動について、ある人から「行き届いてますね」と言われ、心に響いた。 行き届く。 凛とした空気に包まれる、何と素敵な言葉なのだろう。 コトバンクには(1)こまかいところまで気がつく。すみずみまでよく注意がゆきわたる。(2)至りつく。ある程度またはある所まで達する。とあり、今回はもちろん(1)の意味。 「手入れが行き届く」 「掃除が行き届く」 「しつけが行き届く」などなど……しゃんとして日々暮らしている様が、この短いひと言から伝わってくる。 もっとも今回たまたまこの言葉に遭遇しただけで、私自身、普段の生活は正反対だから困ったもの。朝早いのを言い訳に、身支度は最小限。帽子を被り、マスクをしてできる限り気配を消し、自分が誰からも見られない透明人間であるかのように玄関を出るのが日常だ。これではいけない、いけないと思いつつ……一旦ラクな方に流れると、なかなか自分を律するのが難しい。 ところで、「行き届く」は予想、馬券検討、レース観戦において肝要だと常々思う。18頭立てなら18頭それぞれに過程と思惑があり、前走の考察、中間の調教過程、血統背景、今回の条件への適性、相手関係、展開、枠順に、ジョッキーとの相性や当日の天気と馬場傾向などなど、考慮せねばならない材料は山盛り。先週行われた高松宮記念はいい例で、刻々と変化していく芝コンディション、トラックバイアスへの目配りが欠かせない。 行き届いてない失敗例としてありがちなのが、狙っていた馬がローカルの午前中に出走していて気づかなかった。人気がなさすぎて、新聞を見ても気づかなかったなんてパターン。それから、力を込めて馬券を買った馬が凡走し、「やっぱり力が足りなかった」とか何とかで理由をつけて思考を停止し、急激に評価を下げるのもNG。のちに走られ、敗因を特定することが行き届いてなかったことを痛切に思い知らされる。 普段の暮らし、人との関わり、仕事に、予想と馬券すべてに通じること。春の日差しのもとで「行き届く」を反芻すると、ちょっとしたことのひとつひとつが意味をもち、いい毎日を送れそうな気がしてきます。 栗東編集局 山田理子
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