清々しい
毎年、春になると大阪へ気持ちが揺さぶられて、ここのところ毎年のように足を運ぶことに。大抵、3連休後から始まるセンバツ高校野球の方は競馬の日程上なかなか行けないけれど、相撲の方はあっちこっちに声をかけて数人でマス席に陣取って恒例行事のような形になってしまいました。
両国との圧倒的な違いは力士との距離が断然、近いこと。府立体育館前では関取が場所入りするのを手が届く場所でずらっと見られて、中に入れば椅子席でも双眼鏡を使わずとも僅かな差の勝負の判定ができるほど。場内にこもる熱気も自然と違っていて、一番一番、力士の力の入り具合も変わってくるような気がしてなりません。
そんな今年の大阪場所。自分の目当ても大方の人と変わらず、新横綱、稀勢の里にありました。20年近く待っての日本出身力士の横綱の土俵入り。果たして、どんな感じなのだろうか?それさえ見られればいい、それくらいの気持ちで今年も大阪入りしました。
自分が行ったのは2日目の月曜日。当日は雨絡みの不安定な天気にもかかわらず、府立体育館前にはずらっと人が並んで、関取が場所入りするのを待っている。最も近いコンビニではレジに並ぶ人が列を成して、ゆっくり買い物もできないほど。
中に入れば入り口のところに人の波ができており、まだ十両の土俵入り前だというのに席も半分以上が埋まっている。こんなことは自分が知る限りでは初めてのこと。少し酒が入っていることもあるけれど、周りの雰囲気に巻き込まれて気持ちもだんだんと昂ぶってきます。
そしてほとんど待つという感覚もなく、幕内力士の土俵入りが始まり、間もなく横綱の登場。それも4人居るから豪華だ。鶴竜、日馬富士と見慣れた土俵入りが終わり、いよいよ新横綱の登場。
花道を歩いてくるところから拍手が沸いて、指笛の音もあちらこちらから聞こえてくる。土俵に上がるとワッと拍手が大きくなり、稀勢の里が拍手を打ち始めると場内もシーンと静まり返る。
横綱が中央に歩み寄って正面に向き直り、拍手を打ってから手刀を切り、四股を踏んでから見せ場の雲龍型の競り上がり。ここで場内から再び声がかかって、拍手もおおいに沸く。そして手刀をまた切って四股を右、左と踏んで下がるとまた場内から拍手が。
自分が今まで目の前で見た土俵入りで、一番、美しかったのは3代目の若乃花の土俵入り。その美しさがあったかどうかは人それぞれに思うところがあるのでしょうが、何よりも清々しいと感じた横綱は稀勢の里が初めてだったように思います。
こうなってみると震災の年に亡くなった鳴戸親方に相当、厳しく指導されたことが、今になっていろいろなところで花を開いたのかもしれない。
相撲は正攻法。土俵上で感情を表すことはなく、それが物足りなく感じた時期も相当あった。しかし、それが横綱になってみるとすべてがふさわしく、こうなることを実直に目指してきていただけなのかもしれないと思ってしまいます。
人を育てて、実際にしっかり育つは大変なんだなとあらためて思いました。これは競馬もまったく同じこと。厩舎関係者の方は勿論でしょうが、携わる自分たちにも十分に責任があるのではないか。真面目にやっている若者には温かい目を向けてあげなければ。そんなことを感じた、いつもとは違う大阪場所でした。
美浦編集局 吉田幹太
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