窮すれば通ず=`お勧めの一冊〜
9月になって、さあ秋競馬がスタート、のタイミング。ですが全国各地、残暑が厳しいようで、まだまだ暑い日が続いています。 この9月の暑さは近年の異常気象の影響ではなく、以前からそうでした。学校や官庁などの衣替えも、10月からと相場が決まってますから。
ということは、自宅でエアコンを使用しない生活も3年目の夏が過ぎましたが、もう少しだけ暑さと戦わなくてはなりません。
恒例のネタで恐縮ですが、以前にも触れたように、電気代の節約とか、エネルギー政策への意思表示とかの、明確な理由があってスタートしたわけではありませんでした。 そう、単純に使用していたエアコンが壊れたから。 で、さあ大変だ、となった際に、偶然にも家を空ける日が続いたため、なにげに放置したのがキッカケ。実際に日中は職場ですし、耐えなくてはならないのは夜、寝る時くらいですから。 そんな軽い感覚でスタートしたエアコンレス≠ナしたが、これが案外、心地良かったのです。全般に体調面が安定しましたし、何よりも気持ちの変化が大きかった、ような気がしています。
暑い日は暑いんです。これは仕方がない。一方で、あまり暑くて生産性が落ちるのも仕方がない。そういったこと全部含め、沖縄言葉の「なんくるないさ」の精神をちょっとだけ学ばせてもらって、心が豊かになったような、もしかしたら錯覚かもしれませんが、とにかく別の価値観みたいなものが少しは身についたようで嬉しかったりして。
ところがこのエアコンレス生活。友人たちとのやりとりの中で、実行者が結構いることがわかってきました。エアコンレス≠ニいう表現も、知り合いの一人が使っていたのを流用したものです。 でもって、ほとんどの人がエアコンレス≠フ効能を口にしますが、面白いのはやっぱり使っていたエアコンの故障≠ェキッカケになっている人が多いこと。追い詰められないとなかなか行動に移せないのが人間の性(?)なのでしょうか。
そんなことを考えた時に思い出したのがタイトルの、 窮すれば通ず でした。
中国の古い書物である『易経』の中に出てくる言葉だそうで、それを「エアコンが壊れた、さてどうしよう、じゃあエアコンレスで」といった俗物の単純思考の言い訳に引っ張りだそうってんですから、「何が窮すれば通ず≠セよ」というご指摘があるようでしたら謝ります。でも、それが言いたいわけではありません。
そもそもこの言葉、なんだか社会的成功者の回顧録で使われるようで、もうひとつ素直に受け入れられないところもあります。このあたりがまさに俗物らしいところで…。
しかし平成4年の2冠馬ミホノブルボンを管理した戸山為夫調教師が執筆した『鍛えて最強馬をつくる』。この本の中で何度か使われている窮すれば通ず≠ェ、強く印象に残っているのです。
プロ野球の広島カープが25年ぶりの優勝へカウントダウンに入っていますが、それが平成3年ですから、ミホノブルボンも随分と昔の話になりました。 ここで現役時代のことを書き出すと大変な字数になりかねないのでヤメておくとして、とにかく『鍛えて最強馬をつくる』です。
この本を手にしたのは、競馬四季報の巻頭グラビアでミホノブルボンを扱った号があるのですが、その取材用に参考にするためでした。言ってみれば仕事の一環として目を通すことが目的だったのですが、読んでみてその内容に心酔することになりました。
そうですね、すべてを網羅できるわけもないのでうっかりしたことは言えませんが、まったく個人的な意見として許してもらうと、競馬関係者が記した数ある書籍の中でも群を抜いているのではないか、と思っています。 決して好みだけではありません。この本、競馬本≠ナありながら、別の側面も有しているのです。
師は平成5年5月に亡くなりました。かんき出版からの第一刷が同年の秋に出版。病床での執筆であったことは「まえがき」に触れられており、要するに絶筆=Bそして読み進めていくと、競馬人として後世の競馬人に向けた遺書%Iな性質を持っているように感じられます。 これだけですでに他の競馬本とは決定的に違っていると思えるわけですが、中身もまた他の競馬本とは一線を画しています。 副題が「ミホノブルボンはなぜ名馬になれたのか」ですから、競馬本には違いないのですが、決して競馬だけの話ではない…というより、「馬づくりは人づくり」をモットーにしたという師の自叙伝として、人生の指南書的な性格の方が強いのです。 大体、かんき出版自体がスポーツというよりビジネス方面の出版社。そこから出されたのも、指導者として、リーダーとしての資質を評価されたからであって…いや、このあたりの経緯については、すべて憶測になってしまうのでやめておきます。
とにもかくにも、その効果が不透明だった時代に積極的に坂路調教を取り入れたり、早い段階からハードトレーニングを課したり、馬主の反対を押し切って所属騎手を優先的にレースで騎乗させるなど、従来では考えられなかった(現在はもっと、でしょうか?)手法を用い、また一方で調教師の定年制導入を提唱、尽力されたのも有名な話。 はねっかえりと言っては失礼ですが、異端児的ではあり、それぞれのシーンにおける周囲からの風当たりの強さは想像を絶します。そして、そのひとつひとつに向き合った際に出てくるのが、 窮すれば通ず の言葉です。 この精神性でもって、あまたの苦難を乗り越えていく。そういった物語が全編を通して紡がれていくわけです。
こういうことを書いていると、つくづく残念に思うのが先の四季報の取材時、すでに戸山師は亡くなられていて、直接お話を伺えなかったこと。 栗東トレセンに出向いて、ミホノブルボンに騎乗していた故・小島貞博元騎手と、担当の持ち乗り調教助手だった安永司さんから別々にお話を聞かせていただき、その中で戸山師の思い出話を少しだけでも聞かせてもらえたのは幸せなことでしたが。
とにもかくにも、「競馬を知らない人が読んでも面白い」みたいなキャッチコピーが添えられてしかるべき内容であり、逆に「戸山式調教法」とか「競走馬の仕上げの極意」みたいな競馬本の王道を求めたとしても、決して拍子抜けすることはないはず。 暑さが過ぎれば読書の秋=A機会があればご一読をお勧めします。
調教師が執筆した作品としては、今のところ唯一の馬事文化賞受賞作品(これもまた競馬本として唯一無二たる所以)ですから、今更お勧め≠烽ネにもあったもんじゃないのですが、エアコンレス≠ネんて個人的な、ごく普通の生活の一場面にも作中の一節を思い出させてくれる(?)稀有な競馬本。 何しろ、期待は裏切らないと思いますので。
美浦編集局 和田章郎
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