神明号の眠る里
事務所に散乱する資料の片付けは、何となく自分の役目。といっても滅多に手を着けることはないのですが、ある日、一念発起。山積みになった本の整理をしていたところ、ふと手にしたのが昭和54年の『優駿』のファイルでした。その昭和54年4月号に、高校生当時、強く心を動かされた『純血木曽馬の復元』という特集記事が載っています。
絶滅の危機にあった木曽馬の復元に大きく貢献した第三春山号。その最期の様子を伝えた記事ですが、純血木曽馬の姿を剥製として後世に伝えるため、老衰が進んだ同馬に安楽死の措置を取らざるを得なかったという話、とりわけ、措置の直前に好物の人参を望むだけ与えたというくだりは、40年近く経て読み返しても胸が詰まる思いにさせられます。安らかに天寿をまっとうすることを許されなかった第三春山号、そして、我が身を切るような辛い選択を迫られた人々……。別れの日は昭和50年1月14日。この日、木曽谷には別れの馬子唄とともに、馬と人の悲しい思いが響いたことでしょう。
ところで、第三春山号が救世主のように木曽に現れたのは、同馬の父親がたまたま戦時下における小型在来馬の断種政策を免れたからにほかなりません。特集記事にはその経緯も紹介されています。記事を元に簡単に説明すると……。 第三春山号の父の名は神明号。断種政策により、昭和18年を最後に純血木曽馬の種牡馬はすべて木曽谷から姿を消してしまったのですが、そんな情勢下、奇跡的に去勢を免れた純血木曽馬の牡馬がいました。それが長野県更埴市(現千曲市)の武水別(たけみずわけ)神社に奉納されていた神明号だったのです。 終戦後、木曽馬の復元に賭ける人々に発見された神明号は、種馬として木曽谷に迎えられ、同じく純血の牝の木曽馬・鹿山号と配合。その結果、昭和26年に誕生したのが第三春山号でした。それはまさに消えかけたロウソクが再び灯り出した瞬間だったと言えるでしょう。その後、木曽馬復元のために第三春山号の果たした役割は、現代に伝えられている通りです。
神明号が発見された武水別神社とはどんなところなのか……。この目で確かめようと信州に向かったのは、梅雨入りを思わすようなダービー翌日のことでした。小雨の碓氷峠を越えて千曲川沿いを北上。昨年の秋に訪れた望月駒の里を通り過ぎ、真田丸で賑わう上田の街も過ぎると、やがて善光寺平に差し掛かります。武水別神社はその善光寺平の南の端、田毎の月≠ナ知られる姨捨の棚田から見下ろす千曲川のほとりにありました。
正面の大鳥居こそ目を引くものの、細い水路と住宅地に挟まれるように鎮座する神社は平日ということもあって、ひっそりとした佇まい。観光地然とした著名な神社と違って参拝客の姿もほとんどありませんでしたが、それだけに、厳かな空気に身を包まれるような感覚に……。知らず知らずのうちに背筋がピンと張ったのは、神明号がいた神社≠ニいう思いもあったからでしょう。 境内にいた神職の方に伺ったところ、一の鳥居を抜けて二の鳥居をくぐる少し手前に、かつて、御神馬(ごしんめ)が繋がれていた厩があったとのこと。ただ、神明号のことについては何も分からず終いでした。何しろ、神明号がここにいたのは戦前の話。木曽へ渡ったのも昭和20年代のこと。それも無理からぬことかもしれません。 『純血木曽馬の復元』でも、第三春山号の最期が詳細に描かれているのとは対照的に、神明号の消息は「子出しが良くなかったので間もなく廃用された」と記されているだけです。嫡子の第三春山号とともに木曽馬の復元に多大な貢献をした神明号ですが、その記憶は時代の流れの中に埋もれつつある……。武水別神社を訪れ、そう実感させられました。
ただ、その消息が僅かにでも紹介された記事があります。2010年の8月17〜22日に毎日新聞の長野地方版に掲載された『木曽馬と歩む』という特集がそれ。この記事は、「神明号は死後、更埴市に戻り、神社の祝詞とともに千曲川のほとりに埋葬された」と記されています。同じ長野県内とはいえ、木曽からこの武水別神社までは約130キロ。しかも、今よりずっと交通事情が悪かった頃の話です。亡骸だったのか、既に骨になっていたのかは分かりませんが、いずれにせよ、神明号が神社に返されたという事実は、同馬が死後もなお丁重に扱われたことの証。そう考えていいのかもしれません。送る側は木曽馬を救った功労馬として、また、迎える側はかつて親しんできた御神馬として。 『木曽馬と歩む』には、御神馬だった神明号は「近所の子供達にも人気があった」との記述があります。その埋葬は多くの人々が悲しみにくれる中での別れだったのか、あるいは、ひっそりと土に還されたのか……。当時の様子を知る術もなく、埋葬された場所も分かりませんでしたが、神社の境内を後にして川岸まで下りてみました。
ナヨクサフジの群落が風に揺れる千曲川のほとり。見上げると厚い雲の切れ間から僅かに西日が射しています。『木曽馬と歩む』には、「今もどこかに碑が残っている」との記述もありましたが、この広い河原で、碑が簡単に見つかるはずもありません。しかし、辺り一面を紫色に染めるこの花の下のどこかに神明号が眠っている、それは間違いないはずです。
美浦編集局 宇土秀顕
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