『ちっちゃな旅打ち』
前々週のこと−。
財布の中には青い札しかない。久しぶりにどっと疲れが出るほど馬券を取られた。
最終レースがいけなかった……。 枠連2点で勝負したら見事にタテ目で決まって2000円近い配当。笑ってしまうほど見事に取られた。
呑みの約束を断り、まっすぐ帰ろうかと思ったけれど「金はないぞ」とことわっておいてから呑みに行くことに。7割方、出るのは愚痴ばかりでも、いい気晴らしにはなったのか、ほとんど友人におごってもらい。気持ちもうんと前向きになってきた。
来週頑張ればいい。いや、明日があるじゃないか明日が。
ちょっと前から旅に飢えていて、比較的、近くで旅打ちができないものかと探っていたら「伊勢崎オートレース」がちょうど月、火で開催していることを思い出した。自分の家からだと3時間弱で行くことができる。先立つものがない自分にはちょうど良く、宿も少し足を伸ばせば高崎の大浴場つきホテルで温泉気分も味わえる。
帰りの電車の中で早速、宿の手配をして、送迎バスの時間やら、その時間にどう伊勢崎まで行くのかを考えていたら、最終レースのことなどスッカリ昔の話に。どうも脳みそはかなりいい加減にできているようで……。
遊びのときは早起きも辛くない。11時55分最終の送迎バスに間に合わせるためには、9時の電車に乗らないと間に合わない。7時半には目を覚まして、8時半のバスで最寄の駅まで予定通りに行くことができた。
武蔵野線から東武線の乗り換え駅でパンを買い、館林から伊勢崎に向かうローカル線の雰囲気漂う車内でそのパンを食べる。天気は快晴、車内には人も少ない、見慣れない景色を車窓から眺めていたら旅情気分はどんどん湧き上がってくる。
11時45分に伊勢崎駅へ到着。JRも併設している駅で施設そのものは綺麗なのだが、駅の回りにはスーパーがあるくらい。送迎のバスもすぐに見つけられるほど車もバスもタクシーも停まっていない。本当に遠くへきてしまったのだろうかと思うほど静かな駅前だった。
送迎バスの車内には自分だけ。本当に出発するのかと思われたが、後からひとりおじいさんが乗り込んできて、まもなく運転手さんもやってきた。出発はほぼ予定位通りの11時56分。それにしても、お客さんは2人だけなのだから心配になってくる。オートレースといえば船橋オートの閉鎖が既に決まっていて、あまりいい話も聞こえてこない。伊勢崎も活気をなくしてしまったのか。そもそも、本来なら北関東の競馬にはよく足を運んでいたのに、足利、宇都宮、高崎とドミノ式になくなってしまって……せめて、オートレースには頑張ってもらいたい。
そんな不安の中、5、6分乗るとにぎやかな街道に出て、更に5、6分もしたら商業施設が乱立する中にオートレース場が見えてきた。大きなスタンドの横には大きなホームセンターがどんと構えて、以前、来たときとはちょっと違う印象がある。
果たして、レース場の中にはそれなりに人がいて、バックストレッチには大きなビジョンがどんと設置されている。船橋がどんどん設備を縮小していたことを考えれば、まだまだ活気があるのだろうと思わされた。
スタンドも思ったよりは綺麗で、売店もちゃんと営業している。あちらこちらにテレビが置いてあり、何よりもトイレが綺麗なのには驚かされた。へんに着飾っていない感じがあって、実に好感が持てた。
この時点でほっとしたというのか、かなりいい気分になっていて、バイクから鳴らされる爆音も心地よく感じるほどに。これでいい。博打場はこうあって欲しい。そんなことを感じながらダラダラ車券を買っていたら、最終レースまでひとつも当たらなかった。
それでも最後には高橋貢という伊勢崎が生んだスーパースターが乗っている。負けるわけはない。頭固定でいい。この考え方は間違っていなかったのだけど……。
肝心の自分に勝負運がない。押さえで決まって、そこまでのやられの半分が返ってきただけ。
そんななんとも歯切れの悪い終わり方ではあったけれど、それなりに元気だった伊勢崎オートを体感できたのは大きな収穫だったか。ひょっとすると場内に併設されている南関東競馬の場外やJRAのJ−PLACEもいい影響を与えているのかもしれない。
いずれにしてもなくなってしまったら再興するのはほぼ不可能。
自分のようにまっすぐ、器用に生きられない者のためにも公営ギャンブルには頑張って欲しい。高崎の露天風呂で何も見えない空を眺めながらそんなことを思いました。
美浦編集局 吉田幹太
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