『消えたレース名』
2000年に始まったジャパンカップダートは2013年まで14回続き、今年からチャンピオンズカップと名前を変えて中京に移った。国際招待をやめても国際レースではあるわけだし、英・愛にはほとんどよそから遠征のない「インターナショナルS」がずっと続いている例もあるので、ジャパンカップの看板を下ろす必要があったのかどうかは判断が難しいが、ジャパンカップダートというレース名が消滅したのは事実。
ここで過去の廃止された重賞、消滅したレース名を見ていきたい。最新の廃止重賞は2008年が最後となったダート1200mのガーネットS。これは時期を移してカペラSと名を替えて続いている。2008年1月にガーネットS、同年12月にカペラSと同一年度にあることで同じレース名での存続ができなかったわけだが、ガーネットは1月の誕生石なので、これは変えるのが妥当な例。 ヒシアマゾンらが勝ち馬に名を連ねたクリスタルCは2005年を最後に廃止された。19回続いたが、これは中日スポーツ杯4歳S改めファルコンSが3月に移動してきたのに統合される形となった。したがってファルコンSはひとつで2つの廃止重賞名を背負っていることになる。 1947年から続いたカブトヤマ記念は2003年の57回が最後。父内国産重賞廃止の流れで愛知杯が牝馬限定戦へと転じたのに対し、こちらは居場所がなかった。秋の福島1800mのイメージが強いが、1979年以前は場所は中山だったり東京だったり、距離も1950m、2000m、1600mと変遷していた。 京都4歳特別は1955年から1999年まで続き、2000年から春に移動した京都新聞杯に実質的には上書きされた。年齢呼称の変更に合わせたようだが、数え年が満年齢に変更されるのは翌2001年から。 1996年に函館競馬場に新設されたシーサイドSはその1回のみで名前が消えてしまった。廃止ではないが、2回以降は札幌に移動してエルムSと改称されて今に至る。札幌には海がないからだ。 1995年はサファイヤSが13回で、NHK杯が43回で終了。サファイヤSは翌年からエリザベス女王杯が3歳古馬混合戦となることにともなって役目を終え、NHK杯はより格の高いNHKマイルCの新設に乗り換えた形だが、ダービー前哨戦としてのNHK杯には青葉賞ともプリンシパルSとも、もちろんNHKマイルCとも違う性格があったように思える。なお、1969年まではNHK盃、1970年からNHK杯となっていて、用字の境界はそのあたり。また、タイムは1959年までは1/5秒単位で、現在と同じ1/10秒単位となるのは1960年からなので、重賞に限らず古い成績を見る際には注意が必要だ。 1991年には1987年に始まってオグリキャップやシャダイカグラも勝ち馬として並ぶペガサスSが終了。これは春の阪神1600mの条件のままアーリントンCに引き継がれた。1992年に阪神競馬場と提携したアーリントンパーク競馬場は1998年と1999年には売り上げ不振や火災に見舞われたこともあって競馬開催を休止したが、その間ももちろんアーリントンCは行われていた。
1980年の30回が最後となったのがクモハタ記念。クモハタ記念は「TBS杯」がついていたことでも珍しい重賞だが、これはジャパンCの創設に伴う重賞体系の変更で役目を終えた。廃止重賞の大物というとこのあたりが最後になるかもしれない。あとは近いものから順にレース名と施行期間を羅列しておきます。私もリアルタイムで知りません。 ・福島大賞典(1967〜1978) ・ビクトリアカップ(1970〜1975、エリザベス女王杯の前身) ・中京大賞典(1967〜1970) ・東京記念(1960〜1963) ・ジュニヤーS(1956) ・阪神記念(1955〜1956) ・阪神特別(1956) ・中山特別(1954〜1955) ・京都牝馬特別(1954〜1955) ・京都4歳S(1955) 今年がJRA創立60周年だから、日本中央競馬会創立は1954年の秋。上のリストの下半分がその時期に出来ては消えているように、新しい体制での試行錯誤があったのだろう。 今回はサラブレッドの平地のみを取り上げたが、1995年まではアラブ重賞があったし、障害重賞も名称の変更とコースの変更(東京のタスキがなくなったり、京都の大障害コースが正面から向正面3角手前に移動したり)がけっこう複雑。これらは別の機会にまとめるかもしれません。
ところで、いちょうSも重賞になったと思ったら来年からサウジアラビアロイヤルカップに改称される。イチョウの木は寿命が長いはずなんだが……。
栗東編集局 水野隆弘