『生まれと育ちと』
ジャンルを問わず、あらゆるスポーツシーンで過去の名選手を彷彿させるような現役選手を見つけることがあります。これ、特別にスポーツ観戦通である必要はなくて、ぼんやりとテレビ画面を見ていたら、「昔見たことがある選手に似ているな」といったような経験。誰にでもあるんじゃないでしょうか。 姿形はもとより、ちょっとした動作、プレースタイル等々。長く生きて(?)スポーツを見ていれば見ている人ほど、そういうことが起こりうるでしょう。
しかし、これは何もスポーツ選手に限ったことではありません。役者さんなどでも何気ないしぐさや、表情、話し方など、「初めてのはずなのに、どこかで見知っているなあ」なんて思っていたら誰それの子息だった、という経験がきっとおありでしょう。 これを広義に捉えると、匠の技の継承者達もそうなのかもしれません。師匠がいて弟子がいて、という。その弟子が、師匠に似るのは当たり前のことと言うか、そのための技の継承ですからね。
この、“役者さん”で、“技の継承者”で、という両方の性質を有している典型的な存在が、歌舞伎役者と言えるでしょう。
さる10月28日。東京の日本橋三越本店で、『馬と歌舞伎トークショー』というイベントが催されました。
JRA60周年記念事業として開催された『馬と歌舞伎』。その案内人を務めたのが11代目市川海老蔵さんでしたが、その彼と、競馬界を代表して武豊騎手が出演してトークセッションを行いました。
正味30分くらいだったんでしょうか。お2人それぞれが、競馬と歌舞伎の印象や魅力、はたまた楽しみ方を紹介する、と言ったようなトークを繰り広げ、意外…と言っては失礼ですが、もりだくさんの興味深い内容になったんじゃないかと思います。 個人的には、案外、歌舞伎ファンというのは競馬の魅力を理解できる素養がおありだと思うのですが、海老蔵ファンのご婦人方、どうだったかなあ。
というのも、歌舞伎役者と言えば、まさに“サラブレッド”の代名詞的存在。演者はほぼ世襲制であり、血統というのか、屋号を抜きには語れません。それこそ海老蔵さんを見て、十二代目団十郎と「口元がそっくり」とか、「目元が」云々と、ご婦人方であればこその捉え方がきっとあるに違いありません。競馬ファンが、「ディープインパクトの子がどうしたこうした」っていうのと同じ。ですから、歌舞伎ファンには、きっと競馬に興味を持って頂けるはずなんです。
いや、それはさておき。 この件について、海老蔵さんは実に意味深いことを発言されています。トークセッションの時にも言ってました。 「歌舞伎役者の場合、子供の頃の早い段階から舞台に立つ、といった面が大きいのではないか」 という意見です。
無論、歌舞伎役者の血統を否定しているのではありません。競走馬は数年間に何百頭も生まれて、その中から淘汰されて一部が残っていくわけですが、人間だとそうはいきません。だから、限られた素材をいかにして鍛え、磨き上げるのか。その意味で、環境の重要性を説いているわけです。
これは実に多くのことを示唆しています。つまり、“血統”か“環境”か。 いや、もっと単純に言えば、“生まれ”なのか“育ち”なのか。その答えは簡単に出るはずはないですが、最近のスポーツ選手の場合は、環境が大きく作用していることは間違いないようです。
親の経済格差が子供の学力差につながっている、と言われて久しいですが、実はスポーツの世界も同じ…というより、もっと顕著なように感じられます。 と言うのも、プロスポーツ選手の多くは、幼少期から学校教育とは別の専門のスポーツクラブに所属しているようですし、いやそれ以前に、いろいろなジャンルの競技を“習い事”として経験していたりもするから。その中から、得意なモノを選択して次のステップに向かうといったケースは少なくありません。「中学時代は別の競技をしていた」と言って高校から始めた競技でプロになる選手もいるくらいですから、やはり幼少期から様々な経験を積ませることには大きな意味があるのではないでしょうか。
要はその環境をいかに作るか、作れるのか、という問題。 ここで歌舞伎役者に話を戻しますと、海老蔵さんが言うように、役者さんの多くは幼児期に初舞台を経験します。お客さんの前で、本興行で3歳の頃から舞台に立つわけですから、まあ場数の踏み方は質といい量といい並大抵ではありません。 しかしながら、その“場数”を提供できること自体、歌舞伎の場合は世襲なればこそ、という部分も厳然としてあるのではないでしょうか。だって、一体どこの子供が歌舞伎座で初舞台を踏めるというのでしょう。
“生まれ”と“育ち”の問題。やっぱり簡単には結論づけることはできません。これ、『ジョッキーベイビーズ』というイベントは勿論のこと、競馬学校の在り方などともつながりかねない話。それはそれで、また別の機会に触れられればと思います。
というわけで、“生まれ”と“育ち”につなげて、実は冒頭に書いた『馬と歌舞伎トークショー』後の囲み取材で用意していた質問がありました。 武豊騎手も名騎手の子息。また海老蔵さんの懇意にしている福永騎手も、現代のトップジョッキーの一人である横山典騎手もそうですね。海老蔵さんは「騎手の血統」というもの、そして「育てられ方」について、どのように感じておられるのかな、と。 テレビ取材用の質問が飛び交う中で、残念ながら発言できなかったことですが、どこかで機会があれば伺ってみたいものです(聞きたいことは他にもたくさんありますが)。
ところで、そのトークショーの中で、武豊騎手が歌舞伎ファンであろうご婦人達に「競馬の楽しみ方」について伝授(?)しました。「200円で入場できて、一日楽しめます。とにかく来て頂いて肌で感じて頂ければ」と。
まさにそうですが、私の方からもひと言。 歌舞伎を観るように楽しんで頂くのがよろしいかと。贔屓の役者に声援を送るように、一頭の馬、あるいは一人の騎手に、自分の思いを投影して…。 そのためには、やはり武豊騎手が言うように、競馬場に来てもらうのがてっとり早いことは間違いありません。
こんなふうに関係者はもとより、各界の人々が馬券や予想を離れて、競馬の魅力を語り継げる場が、時間が、もっともっとあればいいのに…。 そんなことを思った秋の一日でした。
美浦編集局 和田章郎