『大いなる沈黙』
今年はソチ冬季五輪があって、サッカーのワールドCという世界的に注目度の大きいスポーツイベントがありました。この手のイベントでいつも感心させられるのは、試合直後のインタビューの様子。ワールドCなんて、勝敗にかかわらず、監督は勿論、選手達もまだ汗がひいていない状況でマイクを向けられ、それにきちんと応じています。 サッカーの場合、試合後の記者会見はFIFAから義務づけられているらしく(監督はともかく、選手は全員じゃないようですが)、拒否すれば罰金その他のペナルティーが課せられるそう。このルールの徹底が、プレーヤー達の精神構造の形成にひと役買っていることは確かでしょう。これはカーレースのF1を実施するFIAもそうで、ヨーロッパに本部を置く競技団体に共通する通念のようにも感じられます。 大きく考えて、このルールがヨーロッパ圏のプロスポーツ選手全体の意識レベルに、少なからず影響していると捉えていいでしょう。
一方、アメリカ中心のスポーツ文化圏はどうかというと、やっぱり4大スポーツのうちNBA、NFL、NHLは、会見拒否に対して厳しいよう。MLBだけが特別甘い、というわけではないのかもしれませんが、日本人メジャーリーガーの象徴的存在であるイチロー選手に見る通り、個人差があるというか、選手によっていろいろなようです。
もはや伝説ですが、スティーブ・カールトンという投手は、8年にわたって記者会見を拒否し続けたそう。それがまた、まさに大投手だったものだから、まったくコメントがないのは大変に困った、という記者サイドのエピソードが残っています。 自身のプレーの内容で感情的になってしまい、まともな会見が困難な状況というのは、まあどんな名選手にだってあるでしょう。しかし時が経てば、大抵の場合、落ち着きを取り戻すもの。それが8年もの間、一切の取材を受け付けなかったというのは、よっぽどのことがあったか、意志の強さが半端じゃなかったのか。 いずれにしても、そういう特異で、投手としても優れた偉大な選手に対して、寛容な時代だった、ということもあるのかもしれません。
ただ、「一切の取材を受けない」のと、相手によって話したり話さなかったり、では印象がまるで違ってきます。
上記カールトン投手にそういう事実があったかどうかはわかりませんが、もしあったとすれば、アメリカの記者達のこと。槍玉にあげていたでしょうし、彼のことを『大いなる沈黙』と呼んで揶揄したのか敬意を表したのかわかりませんが、ともかくも、そのようなニックネームを用いて伝説で語られるほど穏やかには済んでなかったのでは、と思われます。 プレー中はもとより、プレーを離れた時の姿勢、態度に一貫性がないのであれば、リスペクトの対象としてランクが落ちてしまいますから。
この、リスペクトの対象、といった話でいつも思い出すのは、1980年のパシフィックリーグのプレーオフ。試合内容、結果そのものではなく、優勝監督インタビュー。近鉄バファローズの故・西本幸雄監督のことです。 冒頭、チーム名を間違って紹介され、「誰が阪急ブレーブスやねん」とストレートに怒りを表しながら、最後までインタビューを受けました。その間、どんな口調だったかは覚えてないのですが、とにかく、感情にまかせてお立ち台を拒否するようなことはありませんでした。
今の自分の不愉快さはテレビを見ている全国のファンには関係がないこと、と西本監督が意識していたかどうか。ただ、昔気質の職人さんのようなイメージだった人が、最後までファンサービスに徹してみせたのです。 その後、そのインタビュアーとの関係がどうなったのかは知りませんが、その一件に関してだけは、救われたと感じたことでしょう。
いずれにしても、まだ10代だった自分に、西本監督への畏敬の念みたいな感覚が生まれたのは確か。そして今、こういう積み重ねこそ、ファンの心を離さない最も有効なサービスのひとつなのだと確信しています。
この場面を見たのが30年以上前のこと。昭和から平成に移り、野球以外のプロ組織が次々に発足した日本のプロスポーツ界も、いろいろなシーンで大きな変化が見られました。様々なサービスが試され、あの手この手でファンを楽しませてくれています。その努力たるや、昭和の時代とは比べるべくもないかもしれません。 競争相手が生まれたことが、プロスポーツ界全体にいい影響を及ぼしたことは間違いないよう。それは歓迎すべきことであり、喜ばしいことです。
しかし、そういう流れの中で、『ファンサービス』の大義名分のもと、逆にプレーヤー達に過分な行為を求めているように感じることも少なくありません。
放送用のインタビュー絡みで言えば、最近、まとめの部分に頻出する「応援してくれているファンの皆さんへメッセージをお願いします」は、何気ないようでその最たるモノと感じます。そもそも、試合後のインタビューに答える時点でファンにメッセージは送っていますし、最後にもうひと言、の部分はプレーヤーの判断に委ねられるべきではないでしょうか。
“会話のまとめ”というインタビューの最重要部分。簡単に処理できることでないことは理解できますが、要は聞き手の、インタビューを受けている相手に対する敬意が感じられるかどうか、ではないですか。 上記の西本監督のケースでも、阪急ブレーブスと言ってしまったインタビュアーの慄然の仕方は想像を絶しますが、それをカバーするべく取った必死さもまた普通ではなかったはず。それがあってこそ成立する、“誠意ある受け答え”じゃないかと思うのですがどうでしょう。
単純な思考、検証だけでは正しい結論は出せないファンサービス。いや、そもそも何が正しく、何が間違っているかの判断すら難しいのがファンサービスかもしれません。他の競技よりも多面性を有し、楽しみ方の幅が広い競馬は尚更のこと。 報じる側としては、『大いなる沈黙』で物語が紡げなくなるのは大きな痛手。まずは取材する側とされる側が、それぞれどのように敬意を抱くのか。とりあえず健全な関係性がいかに築けるか、にかかっているのでしょう。 つまりは小難しく考えずに、当たり前のことをうっちゃらず、ひとつひとつを押さえていく。そこに行き着くようです。
美浦編集局 和田章郎