『トレヴは3連覇をめざす〜凱旋門賞の連覇記録など』
第93回凱旋門賞馬トレヴの現役続行が電撃発表されたのが10月11日。校了を待つばかりだった週報の凱旋門賞関係の原稿チェックの手配に慌てたものの、結果的にはご存知の通り京都競馬の延期で週報の発売も本日水曜にまでずれ込んだ。慌てる必要はなかった。
当初引退して繁殖入りが発表されていたトレヴの現役続行はもちろん過去に例のない凱旋門賞3連覇を目指してのもの。1920年に始まった凱旋門賞の連覇は過去に5例ある。創設翌年の1921年と22年はクサールが連覇。2勝目のあとにもう1戦グラディアトゥール賞を走って2着となって引退。種牡馬として成功した。孫のジェベルは1942年の凱旋門賞馬で、その末裔にはシンボリルドルフがいる。1936-37年と連覇したコリーダはオーナーブリーダーであるマルセル・ブサック氏の牧場で繁殖生活に入ったが、時代が時代だけに平穏な生活は長くは続かず、1944年夏のファレーズの戦いの際に退却するドイツ軍に奪われて消息を絶ったという。ただし、競馬場に送り出した唯一の産駒コアラーズは種牡馬となり、今も活躍馬の血統表の奥深くでその名を目にすることがある。1950-51年と連覇したタンティエームは引退して種牡馬としても成功し、主に産駒で仏ダービー馬のレリアンスを通じて現代にも少なからぬ影響を及ぼしている。1955-56年と連覇したのは16戦16勝の名馬リボー。これには多くの説明を要すまい。その後20年以上のブランクを経て連覇を果たしたのはリボーの曾孫アレッジドで、その2勝目は夏場にウイルス感染に見舞われたことなどがあって平坦なものではなかった。じっくり立て直して連覇を成功させたヴィンセント・オブライエン師の手腕はトレヴのC.ヘッド=マアレク師に通じるものがある。
これら過去の凱旋門賞連覇の5頭で3連覇に挑んだものはいない。連覇でなくても1980年代までは凱旋門賞に勝てば種牡馬(または繁殖牝馬)としての需要が極めて高かったので、すぐに引退する。当たり前といえば当たり前ですよね。そのあたりに競馬の距離カテゴリーの重心の移動を見ることもできるが、これはたとえばフランケルのような怪物でさえ4歳まで、オルフェーヴルも5歳まで現役を続けたことでもわかるようにカテゴリーを問わず、競馬が30数年続いたバブリーな種牡馬選択ゲームから正常に戻ったのだと考えることもできる。
平地競馬のG1レベルで「連覇」というと米国のケルソのジョッキークラブゴールドカップの5連覇(1960〜1964)、オーストラリアの名スプリンター・マニカトのウィリアムリードS5連覇(1979〜1983)が近代競馬のほぼ限界といえるが、凱旋門賞レベルの3連覇が達成されれば、価値としてはそれらに勝るとも劣らぬものになるのは確実だ。その一方で、ひと足先にジェンティルドンナがジャパンカップを3連覇する可能性もある。これも達成されれば空前の記録。
そういった華やかなものとは別に近年の凱旋門賞におけるユニークな記録といえば、ユームザインの3年連続2着(2007〜2009)がある。勝ち馬は順にディラントーマス、ザルカヴァ、シーザスターズだから、生まれたときが悪かったとしかいいようがないが、どんな相手でも2着なのだから、いつ生まれていても2着だったかもしれない。もう1頭、挙げておきたいのは連覇ではないが1930年と32年の2度勝ったモトリコ。障害でも勝ち鞍を挙げたあと凱旋門賞を制したのが5歳時。いったん引退して種牡馬となり、1931年と32年の春を種牡馬として過ごし、32年春にカムバックすると2年前同様得意の道悪になったことも幸いして凱旋門賞2勝馬となった。7歳での勝利は今も破られていない凱旋門賞最高齢優勝記録だ。翌年からは再び種牡馬となるが、引退に際しては多くのファンが別れを惜しんだという。確かにサラブレッドができることのほとんどすべてをやった達成感に満ちた生涯だったように見える。種牡馬としては障害用として成功したが、娘の仔ヴルガンはそれを上回る成功を示し、チームスピリット、フォワナヴォン、ゲイトリップと3頭のグランドナショナル勝ち馬を送り出した。1990年代を代表する悲劇の名障害馬ワンマンから今季英愛レーティング首位のボストンボブまで、現代の障害競走の活躍馬の血統表にもその名を見つけることができる。
トレヴからはずいぶん離れた話になったが、それだけ凱旋門賞が欧州競馬の奥深くにまで根を張っているということではあるだろう。
栗東編集局 水野隆弘