『新潟で初めてのG1』
地球温暖化の現れなのか、ここ数年は9月の声を聞いてもなお、うだるような暑さが続くことが珍しくなくなりました。幸い今年は、8月の終わり頃から過ごしやすい風が吹き始めていますが、これは本当にたまたまのこと(おそらく)。果たして来年はどうなることやら……。 しかし、いくら夏の暑さが残っても、中山の芝に蹄音が響けばそれはもう“秋”。秋競馬の開幕が中山に定着した1980年(昭和55年)以降、少なくとも関東の競馬ファンは、ずっとそんな思いでこの季節の変わり目を迎えてきたはずです。かれこれ35年間……。 ただし、その35年間の歴史の中で例外が3回あります。最初が1988年(昭和63年)、2度目が2002年(平成14年)、そして3度目が今年、2014年(平成26年)。ちなみに、1988年は中山競馬場の改修工事のため、また、2002年は東京競馬場の改修にともなう開催日程の変更のため(天皇賞とジャパンCの開催を中山で代替するために、秋の開幕が新潟に振り分けられた)。 この2002年の秋の新潟開催において、最も注目を集めたのがG1のスプリンターズSでした。1990年にG1に昇格、2000年に暮れの中山から秋の中山に移行したこのスプリンターズSが、開催日程の変更により、新潟競馬場で初めて行われるG1戦になったからです。当時の新潟競馬場は、右回りから左回りへ、そして、直線1000mコースの新設というドラスティックな仕様変更から2年目。1年遅れではありましたが、あたかも、コース新装を祝うかのようなG1の施行となったのです。「せっかくなら直線1000mで施行してはどうか」そんな声も少なくありませんでしたが、そこは伝統の重んじられるG1戦。距離はともかく、通常は周回コースで争われるレースを1年だけ直線コースで施行するわけにはいかなかったのでしょう。 こうして、新潟の内回り芝1200mで代替されたスプリンターズSでしたが、特別登録のあった17頭のうち5頭は早々に回避を表明。更に、レース当週の最終追い切りで泥の塊を目に受けたタイキトレジャーも出走を断念。蓋を開けてみると11頭立てという、G1昇格後のスプリンターズSとしては最少出走数での争いとなったのです。 1番人気は前哨戦のセントウルSで2着を4馬身ち切ったビリーヴ。これに続いたのが春の高松宮記念を制したショウナンカンプ、同じく安田記念を制したアドマイヤコジーン。そして、レースもスタート直後からこの3頭の競演となりました。最外枠からショウナンカンプがハナを奪うと、アドマイヤコジーンとビリーヴが2〜3番手で追いかける展開が続き、そのまま直線の攻防を迎えます。押し切りを狙うショウナンカンプに対して、アドマイヤコジーンは外から、ビリーヴは内ラチ沿いに進路を切り替えてこれを猛襲。直線半ばから3頭が火花を散らす叩き合いとなり、最後に、そこから半馬身抜け出したのがビリーヴでした。 4着のディヴァインライトはこの争いから遅れること4馬身。人気の3頭だけが別の次元で戦った、まさにそんな印象を抱かせる一戦。当時は3連単の発売がありませんでしたが、3連複の配当810円は、いまだに更新されていないこのレースの3連複最低払戻記録になっています。
<2002年9月29日新潟> 第36回スプリンターズS 芝1200m
こうして、少頭数ながらも見応えあるG1の名勝負が新潟のターフに初めて刻まれました。そのレベルの高さを裏づけるように、勝ったビリーヴは翌年春の高松宮記念で女王の座を防衛。連覇をかけて臨んだ秋のスプリンターズSではデュランダルの強襲にハナ差屈したものの、ここでもその実力を大いにアピールしてみせました。
ちなみに、この2002年秋の新潟開催で行われた重賞・オープン特別の優勝馬を振り返ってみると……。
まずオープン特別では、紫苑Sのオースミコスモがこの後に重賞に3勝。また、カンナSのシルクブラボーは続くデイリー杯2歳Sで重賞制覇。重賞では、京成杯AHのブレイクタイムが翌年も京成杯AHに優勝して同一重賞連覇を達成。セントライト記念のバランスオブゲームはその後にG2に4勝し、GTでも5度の入着。オールカマー勝ちのロサードは翌年の夏に小倉記念に優勝。そして、ビリーヴの活躍は前述した通り。ひとつ間違えると、“夏競馬のエクストララウンド”といったイメージを与えかねない秋の新潟開催でしたが、このラインナップはなかなかのもの。例年の秋開幕戦に勝るとも劣らない、レベルの高い争いが新潟で繰り広げられたのです。 そして今年……。勿論、新潟で2度目となるスプリンターズSも注目の大一番ですが、あの2002年と同様、早秋の新潟から大きな飛躍を遂げる馬が出てくることを心待ちにしたいものです。
美浦編集局 宇土秀顕