『地方馬参戦史をひもとく……』
南関東・川崎所属のプレイアンドリアルがダービー挑戦を断念。このニュースに落胆の念を抱いた人も少なくないことでしょう。昨年秋、中央初登場となった東スポ杯2歳Sでイスラボニータからクビ差の2着に健闘すると、続く朝日杯FS直前にホッカイドウ競馬から川崎へと移籍。その朝日杯FSこそ完敗に終わったものの、年明けの京成杯では2馬身差の完勝で、地方在籍馬としては史上17頭目の中央重賞勝ち馬となりました。しかし、この勝利でクラシック制覇がいよいよ現実味を帯びてきた矢先、右前脚に繋靭帯炎を発症。皐月賞を回避したプレイアンドリアルは目標をダービーに切り替えましたが、結局、そのダービーにも間に合わず、ついに今月の12日、しばらく治療に専念して秋以降の復帰を目指すとの方針が発表されたのです。 ご存知のようにイスラボニータは後の皐月賞馬。また、京成杯で突き放した相手がNHKマイルCでクビ−ハナ差3着のキングズオブザサン。プレイアンドリアルが世代トップクラスの実力馬であることに疑いの余地はありません。それだけに、この春、地方馬として初の中央クラシック制覇が達成される可能性も十分にあったわけですが、その夢は今後に持ち越されることとなりました。
▼桜のように咲いて散る そのプレイアンドリアルのニュースから遡ること約1カ月……。東京が桜の見頃を迎えた4月の初旬、各地から届く桜の便りにとともに伝わってきたのが、あのライデンリーダーの訃報でした。デビューから10連勝という成績を引っさげ、安藤勝己騎手とのコンビで敢然と中央に挑んだライデンリーダー。笠松からやって来たこのヒロインが、目の覚めるような脚で4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)を差し切ったのは1995年(平成7年)のこと。続く桜花賞では、地方在籍馬として初めて中央クラシックの舞台を踏んで結果は4着。1番人気に反する結果だったとはいえ、地方馬のクラシック初挑戦で4着なら大健闘。いや、それ以上に、単勝1.7倍という圧倒的な支持を得たことを思えば、この年の桜花賞の主役はあくまでもライデンリーダーだった、そう言っても過言ではないでしょう。 桜の季節に、まさに桜のように咲き誇った笠松のヒロインは、それから20年後の同じ桜の季節、風に誘われる桜のように散って行ったのです。
▼東海から動いた歴史 ところで1995年といえば、ジャパンC以外の中央GT競走が地方馬にも開放された年。ライデンリーダーの活躍は、まさにその交流元年≠飾るに相応しいものだった訳です。ちなみに、それ以前の地方馬の中央参戦を振り返ると、その歴史は1973年(昭和48年)創設の地方招待競走まで遡ることになります。第1回の地方招待競走に乗り込んできた地方の雄は全部で6頭(川崎2頭、船橋2頭、大井1頭、名古屋1頭)。この6頭が、地方馬として記念すべき第一歩を中央のターフに刻んだのです。結果はユウシオ、キョウエイアタック、トーヨーアサヒと3着までを中央勢が占め、地方勢の最先着は4着に入った名古屋所属のウエルデイでした。この馬はもともと中央から名古屋への移籍馬。南関東の強豪5頭を押さえて地方馬最先着を果たしたのも、芝での経験があったからかもしれません。
○第1回地方招待競走 S48.10.21 東京芝1800m (1)ユウシオ (2)キョウエイアタック (3)トーヨーアサヒ (4)ウエルデイ(名古屋) (5)ジョセツ (6)ベルワイド (7)マルイチキング(船橋) (8)オンワードバリー (9)オーナーズタイフウ(川崎) (10)ネロ(船橋) (11)リュウトキツ(川崎) (12)エビタケオ(大井)
この地方招待競走は、地方競馬で開催された中央招待競走と交互に、1973、75、77、79、81、83、85年と隔年で通算7回行われ、1979年(昭和54年)には、笠松所属のリュウアラナスが地方馬として初の勝利を飾りました。同じ笠松所属のダイタクチカラとともに、中央の強豪バンブトンコートを5馬身突き放しての一騎打ち。地方競馬にとっては、これ以上ない形での中央初勝利でした。その後、1985年(昭和60年)に大井のテツノカチドキが地方勢2勝目を挙げましたが、この年を最後に地方招待競走はその歴史に幕を下ろすことになります。
○第4回地方招待競走 S54.10.7 中京芝1800m (1)リュウアラナス(笠松) (2)ダイタクチカラ(笠松) (3)バンブトンコート (4)ロングファスト (5)クリーンファミリー(名古屋) (6)ボールドエーカン (7)ハシコトブキ (8)リキアイオー (9)フジノショーキ(大井) (10)アイノクレスピン (11)グレースキンパ(名古屋)
翌1986年(昭和61年)からは中山で行われるオールカマーが地方招待競走となり、同時に、ジャパンCの地方代表馬決定戦の役割を担うことになります。その年のオールカマーではいきなり、名古屋所属のジュサブローが優勝。前記した地方招待競走はあくまでもオープン特別扱いだったので、このジュサブローが地方所属馬による中央重賞制覇の第一号ということになりました。ちなみに、この時の地方勢はジュサブローの他に大井のテツノカチドキ、カウンテスアップ、ガルダン。そして、荒尾のカンテツオーといった顔ぶれ。ジュサブローのこの勝利は中央勢だけでなく、南関東から乗り込んできた錚々たるメンバーを押さえての快挙でした。
○第32回オールカマー S61.9.21 中山芝2200m (1)ジュサブロー(名古屋) (2)ラウンドボウル (3)テツノカチドキ(大井) (4)ガルダン(大井) (5)シンボリカール (6)ビンゴチムール (7)カウンテスアップ(大井) (8)ロンスパーク (9)ミヤシロファミリー (10)スーパーグラサード (11)カンテツオー(荒尾)
改めて振り返ると、地方馬が初めて中央に参戦した第1回地方招待の最先着が名古屋のウエルデイ、地方馬による初勝利が笠松のリュウアラナス、そして、地方馬による中央重賞初制覇が名古屋のジュサブロー。地方馬による中央競馬参戦の歴史の節目に、必ず東海地区から主役が現れてきたのは興味深いところ。同じ東海地区、笠松のライデンリーダーもこの伝統を受け継いで、中央のターフに新たな歴史を刻んだと言えるのではないでしょうか。
▼オペラとバルクの出現 ライデンリーダーの活躍から4年後、1999年(平成11年)のフェブラリーSでは、岩手のメイセイオペラが地方在籍馬として初めて中央のGTを制覇。フェブラリーSはこの2年前よりGTに昇格。地方馬にも門戸が開かれていましたが、昇格初年は3頭の地方馬が挑戦して14、15、16着(16頭立て)、翌年も15着。苦杯を嘗めていた地方勢にとって溜飲を下げる勝利であり、また、メイセイオペラ自身にとっては最強のライバル・アブクマポーロを超えてみせた瞬間だったと言えるでしょう。 そのメイセイオペラの快挙から更に4年後、2003年(平成15年)にはコスモバルクが登場します。たんぱ杯2歳S、弥生賞、セントライト記念と中央の重賞に通算3勝。複数の中央重賞を制した唯一の地方馬であり、皐月賞2着、ジャパンC2着を含めて中央のGTで入着7回。地方馬による中央競馬の参戦史は、このコスモバルクを抜きにしては語れません。
○地方在籍馬のクラシック挑戦 1995 桜花賞 ライデンリーダー(笠松)(4)着 1995 皐月賞 ハシノタイユウ(栃木) (9)着 1995 オークス ライデンリーダー(笠松)(13)着 1995 ダービー ベッスルキング(笠松) (8)着 1995 エ女王杯 ライデンリーダー(笠松)(13)着 2004 皐月賞 コスモバルク(北海道) (2)着 2004 ダービー コスモバルク(北海道) (8)着 2004 菊花賞 コスモバルク(北海道) (4)着 2007 桜花賞 エミーズスマイル(船橋)(15)着
○地方在籍馬による中央重賞制覇 1986 オールカマー ジュサブロー(愛知) 1991 オールカマー ジョージモナーク(大井) 1995 桜花賞TR ライデンリーダー(笠松) 1997 東海ウインターSアブクマポーロ(船橋) 1999 フェブラリーS メイセイオペラ(岩手) 1999 函館3歳S エンゼルカロ(北海道) 1999 デ杯3歳S レジェンドハンター(笠松) 2000 デ杯3歳S フジノテンビー(笠松) 2001 札幌2歳S ヤマノブリザード(北海道) 2002 ユニコーンS ヒミツヘイキ(船橋) 2003 東海S ゴールドプルーフ(愛知) 2003 札幌2歳S モエレエスポワール(北海道) 2003 たんぱ杯2S コスモバルク(北海道) 2004 弥生賞 コスモバルク(北海道) 2004 セントライ記念 コスモバルク(北海道) 2005 函館2歳S モエレジーニアス(北海道) 2006 オーシャンS ネイティヴハート(船橋) 2007 函館2歳S ハートオブクィーン(北海道) 2014 京成杯 プレイアンドリアル(川崎)
しかし、そのコスモバルクでさえも一歩届かなかったのが中央クラシックのタイトルでした。果たして次の歴史≠刻むのは、秋に復活を期すプレイアンドリアルになるのでしょうか……。その名は祈りと現実=@大きな夢を実現させるために、今は祈りの時期なのかもしれません。
美浦編集局 宇土秀顕