『馬で身を立てる』
▼一冊のパンフレットから それは、まったくの偶然でした。事の発端は京都駅構内を歩いている時に目に止まった一冊の旅行パンフレット。表紙を飾るこの景色は一体どこなのか? 銀色に冠雪した山々、その中央には冬の陽を照り返す藍色の湖。ここに立てば、おそらく風の声しか聞こえまい……。まさにそんな風景。
雪に煙る賤ヶ岳山頂。もちろん誰も居なかった。
並べられていたパンフレットを一冊手に取り、小さく書かれた説明書を読んでみると、それは賤ヶ岳山頂から見渡した冬景色とのこと。中央で静かに水を湛えているのは余呉の湖。中世の古戦場としてあまりにも有名なこの滋賀県北部の山ですが、標高は僅かに421m。その山頂から、雪化粧した伊吹山や比良山系がここまで見事に望見できるとは思ってもみませんでした。 その表紙の絶景を求めて賤ヶ岳を訪れたのは昨年の1月のことですから、もう1年も前の話。「絶景を狙うなら早朝が基本」と、余呉湖畔の国民宿舎(現在は閉鎖)に前泊し、翌朝、周囲が明るくなり始めた頃に出発。アイゼンにワカンまで携えるという、ヤル気満々の完全装備で山頂を目指したのです。たかだが421mの山なのに(笑)。ところが、明け方から湖畔に立ち込めていたモヤは一向に晴れる気配がない……。「山頂に出れば多少は視界が得られるのでは……」、そんな淡い期待も裏切られ、連なる銀嶺はもちろんのこと、眼下に見下ろすはずの余呉湖ですら、この日は真っ白なモヤの中に姿を隠したまま。結局、半ばホワイトアウト状態の賤ヶ岳をすごすごと後にした次第です。
▼旧宿場町に馬市の跡 相手は自然。こんなことも多々あるわけですが、上でのんびりとするはずだった分、山を下りてから時間を持て余す。さて、どうしたものかと思案した末に足を向けたのが、北国街道の旧宿場町・木之本でした。 賤ヶ岳を下りて、かつての賑わいを偲ばせるその宿場町跡に辿り着いた頃にはハラハラと粉雪が。滋賀県の上半分≠ェ雪国であることを身に染みて感じながら歩いていると、ふと出くわしたのが一枚の看板でした。そこには、何とも微妙なタッチの馬の絵が描かれていたのです。 雪の中、足を止めて傍らにあった解説文を読んでみると、この木之本宿ではかつて定期的に馬の市が開かれていたとのこと。そして、その馬市にまつわるエピソードとして紹介されていたのが、土佐藩初代藩主・山内一豊立身のキッカケになった鏡栗毛の話でした。
木之本の旧宿場町。 鏡栗毛なのになぜか芦毛。モデルは別の馬? かつて馬市があったことをアピールする立札が、 そこかしこに……。
数年前に放映された大河ドラマ『功名が辻』のワンシーンにもありましたが、ある商人が東国一という触れ込みで連れてきた一頭の栗毛の駿馬。黄金十枚という高値に買い手がつかなかったその馬を、一豊もひと目見て大いに気に入ったそうです。しかし、織田家の家臣団とはいっても、当時はまだ糊口を凌ぐ生活だった一豊にとって、黄金十枚はとても手の出ぬ大金。それでも、惚れ込んだ駿馬が東国へと引き返してしまうのが何とも口惜しい……。そんな夫の胸中を察し、「お家の一大事のために」と手渡されていた嫁入りの持参金をそっと差し出したのが妻の千代(見性院)でした。 こうして一豊は、買い手がつかずに東国に帰りかけていたその駿馬を手に入れることができたのです。「信長のお膝元では黄金十枚の馬に誰も手が出なかった」そんな噂が広まることもなく、面目を保てたのが織田信長。その後の馬揃え(軍馬を集めてその優劣を検分すること)において、この駿馬がひと際目を惹いたことにより、一豊が重用されるようになった、というのが大まかなストーリーです。
▼中世の敏腕エージェント 日本全国に広く流布されたこのエピソード、果たして実話なのか? 事実をもとに脚色された話なのか? それとも完全な創り話なのか? 真偽のほどは分かりません。調べてみると、その鏡栗毛が売られていた馬市の場所について、安土城下だったという言い伝えもあれば、この木之本だったという説もあり、また、立身のキッカケとなったその馬揃えがいつ頃あったかなどに関しても諸説あるようです。ただ、このエピソードが何世紀にもわたって語り継がれ、内助の功≠竍良妻≠説く教材として戦前の女学校の教科書に載っていたというのは紛れもない事実。それは馬が人間の立身出世に大きな役割を担う≠ニいうこの話の内容が、近世までごく自然に受け入れられてきた証左でもあり、日常生活を営むうえで、馬という生き物の存在が、今よりもはるかに重かったからに他ならないでしょう。 翻って、我々が生きる現代社会に目を転じると、立派な馬を手に入れて、誉められて、出世する≠ネどという話は、普通に考えればちょっと非現実的。ただ、非現実的な、そんな馬で身を立てる≠ニいう話が当たり前のように存在する世界が現代にあるとすれば、それは、他でもないこの競馬サークルといえるでしょう。一頭の馬との出会いが、一人のジョッキーの大きな飛躍のキッカケとなった。そんな話は、決して珍しいことではありません。 山内一豊にとって、立身出世の大きな役割を果たしたこの鏡栗毛。それが妻千代の先見の明と、夫への献身によってもたらされたものだとしたら、この時の千代の働きぶりは、まさに中世の敏腕エージェントと呼ぶに相応しいもの。一頭の馬によって、夫を一国一城の主へと導いたその才覚、もしも千代が今の時代に生きる人間で、しかもこの競馬サークルにいたならば、おそらく引く手あまただったろうに……。
木之本から米原までの30分、そんなしょうもないことを考えながら北陸本線に揺られた冬の一日でした。
美浦編集局 宇土秀顕