『トリプルティアラは見えてきた?』
9月16日に行われたローズSはジェンティルドンナが2番手から抜け出す危なげのない内容で完勝。春は桜花賞でヴィルシーナを鮮やかに差し切り、オークスではやはり2着のヴィルシーナに5馬身という圧倒的な差をつけた。そして今回の結果。秋を迎えて春の序列を逆転する新勢力も現れなかったように見える。そうはいっても、この秋の英国ではニジンスキー以来42年ぶりの三冠達成間違いなしと見られたキャメロットが伏兵エンケの前に2着に敗れたように、ゴールするまで何が起こるか分からないのが競馬。ただ3つ勝てばいいというものでもないのだ。ここで過去の3歳牝馬三冠を振り返ってみよう。
3歳牝馬三冠の形が整ったのはビクトリアカップが創設された昭和45年。その後、昭和50年にはテスコガビーが春の2冠を圧勝したが、捻挫で秋シーズンを棒に振った。翌51年もテイタニヤが2冠を制し、第1回のエリザベス女王杯には1番人気で臨んだが、ディアマンテから2馬身+アタマ+クビ差の4着と敗れた。それから10年が経過して現れたのがメジロラモーヌだった。前年の3歳牝馬Sを含む4戦3勝で最優秀3歳牝馬(現最優秀2歳牝馬)に選ばれたメジロラモーヌは、昭和61年の3歳(旧4歳)シーズンをクイーンCから始動。ここはスーパーショットの4着と敗れた。その後、栗東へ移動。2月21日(金)に美浦北Cで15−15、3月2日(日)には栗東Cで15−15の時計を出しているので、たぶん2月末に輸送していたのだろう。若馬や牝馬の「栗東滞在」による効果は最近の発見のようにいわれているが、そういえば昔はみんな大レースに備えて長期滞在するのが当たり前だったのだ。そして、栗東トレセンに入って2週間後の桜花賞トライアルではチュウオーサリーをクビ差捉えて快勝すると、その後はご存知の通り桜花賞、オークストライアル、オークス、秋のローズS、エリザベス女王杯と6連勝を達成する。桜花賞はトライアルからそのまま栗東滞在、オークストライアルはレースの週に東京競馬場入りして追い切りもそこで行い、オークスも東京滞在だった。秋のローズS時は牧場から函館に入厩、美浦を経て9月下旬に栗東に入り、ローズSのあとは栗東に滞在してエリザベス女王杯に臨んでいる。当時は追い切りもほとんど河内騎手が騎乗していて、20数年経つとずいぶんいろいろ変わるものだ。昔は各厩舎に騎手1人、攻め専の助手が2人の最大3人が追い切り要員で、当然併せ馬の追い切りも1回に3頭まで。今のように追い切りのできる持ち乗り助手が増えて1厩舎で1度に9頭も10頭も出てきて追い切ることは不可能だった。CWや坂路の朝一番が昔と比較にならない大変なラッシュになるのも当たり前だ。脱線しました。そうしてトライアル+本番の完全制覇で三冠を達成したメジロラモーヌは有馬記念で2番人気に支持されながらダイナガリバーの9着と敗れて引退する。傷のつかないうちに花道をというオーナーの親心だが、秋のローズSとエリザベス女王杯はいずれも何とかギリギリ勝ったという内容で、春のように明らかな力の差を感じさせるものではなかった。外から見る限りは強い馬が順当に三冠を達成したように見えて、実際には簡単なことではなかったのだろう。
翌62年には年明けの紅梅賞からバイオレットS、チューリップ賞と連勝してきたマックスビューティが桜花賞を8馬身、オークストライアル1 1/2馬身、オークスを2 1/2馬身差で制した。秋も神戸新聞杯、ローズSを連勝して8連勝でエリザベス女王杯に臨んだが、直線抜け出したところをタレンティドガールの末脚に屈して2馬身差の2着と敗れてしまった。当時のエリザベス女王杯は11月15日なので、秋の重賞2連勝が負担となったとは思えないが、三冠確実と見られて単勝1.2倍の圧倒的な支持を受けても、負けるときは負けるのだ。
次に三冠に挑んだのはそれから6年後、平成5年のベガだった。1月のデビューから2戦目の新馬戦を圧勝したベガはチューリップ賞、桜花賞、オークスと連勝。秋はトライアルを使わずエリザベス女王杯に臨みホクトベガの3着と敗れた。その後は有馬記念9着、翌年の大阪杯9着、宝塚記念13着と大敗が続いて引退した。これはマックスビューティにも、三冠達成したメジロラモーヌにもいえることだが、その後に繁殖という大仕事のある牝馬では特に、張り詰めてきた糸がいったん緩むと立て直すのが困難で、特にピークが高いほど落ち込みも大きいようだ。そう考えると、ウオッカやダイワスカーレット、ブエナビスタといった近年の名牝は、牡馬を圧倒しただけでなく、長く力を維持し、何度か落ち込んでもその度に立ち直った。そういった面でも「牝馬」という性別のくくりをはみ出している印象さえある。
ベガから10年が経過して、ようやく現れた三冠牝馬が平成15年のスティルインラブだった。メジロラモーヌから数えると17年ぶりの三冠達成だが、スティルインラブがユニークなのは三冠すべて2番人気での勝利だったこと。それもこれもアドマイヤグルーヴという強力なライバルが三冠の1番人気の座を占めたため。実際にローズSではアドマイヤグルーヴが勝ち、秋華賞後の古馬を交えたエリザベス女王杯でもアドマイヤグルーヴが勝ち、その年の合同フリーハンデでは114対113で1ポイント差でアドマイヤグルーヴが上位だったので、実力ではわずかに劣勢だったのだろう。それにもかかわらず、三冠と最優秀3歳牝馬のタイトルを得た。いろいろと考えさせられるお話ですね。
平成21年はまだ記憶に新しいブエナビスタの年。前年に“伝説の新馬戦”で3着となったあと、未勝利、阪神ジュベナイルフィリーズと連勝してクラシックの主役の座を確定したブエナビスタは、チューリップ賞、桜花賞、オークスと連勝。札幌記念でヤマニンキングリーの大駆けに屈したものの、1番人気で秋華賞に臨むと、先に抜け出した春2冠の2着馬レッドディザイアを捉え切れなかったのみならず、進路妨害で2位入線から3着に降着となってしまう。その後の長きにわたる大活躍は詳しく述べるまでもないが、あの秋華賞でもギリギリまで頑張ればレッドディザイアを捉えられたのではないか? しかし、あえてそうしない性格が長持ちの秘訣だったのかと思わなくもない。
翌年はアパパネが現れた。桜花賞はオウケンサクラに1/2馬身、オークスはサンテミリオンと同着、秋華賞はアニメイトバイオに3/4馬身とすべて1馬身未満の差で勝っている。前年の阪神JFはアニメイトバイオに1/2馬身差、ブエナビスタを破った4歳時のヴィクトリアマイルはクビ差だった。抜群の勝負巧者というべきか、勝った重賞がすべてG1という点からもタイトルコレクターとしては極めて効率的だった。この秋は府中牝馬Sで復帰予定だったが、12日の追い切りの翌日に右前浅屈腱炎を発症していることが分かり、9月15日付で登録抹消、繁殖入りとなった。母ソルティビッドがスプリンターだった血統からすれば、長い距離には必ずしも向いていなかったのだろうが、それを順応性の高さ、人のいうことを聞き、無駄なエネルギーを使わないクレバーさでカバーしていたのだろう。
昭和45年のビクトリアカップ創設から、昭和51年にエリザベス女王杯、平成8年から秋華賞と形を変えながらおよそ40年で8頭が挑戦して3頭が成功した牝馬三冠。牡馬三冠は70余年で成功7:失敗15だから、それに比べると成功率ではわずかに高いが、牝馬ならではの難しさもあるだろう。ただ、データ班・坂井直樹によると「オークス→夏休み→ローズS出走→本番」で臨んだ2冠牝馬の三冠達成率は100%なんだって。ジェンティル嬢よかったね。
栗東編集局 水野隆弘