『3連覇に挑む』
“3連覇”を懸けた熱い戦いに、泣いたり笑ったりした夏も終わりました。うだるような猛暑に加え、深夜や未明のテレビ観戦で体調を崩された人もいたようですが、昼間に仕事をしている身としては、就業時間中に手に汗握る大一番を中継されるよりは遥かにマシ。まあ、そんな事情は別にしても、リオの次の2020年、まだ五輪未開催の国に気持ちよく譲ってもいいんじゃないでしょうか? 50年前、“アジアで初の開催”という五輪後進地域の立場をアピールして、その招致に成功したのが当時の日本。ならば、「どうぞあなた方の国で、初のオリンピックを開催してください」と、トルコの人たちに笑いながら言ってあげたいものです。
さて、そんな話はさておき、競馬の方も既に秋シーズンへと突入、G1シリーズの第一弾となるスプリンターズSが刻一刻と近づいてきました。そのスプリンターズSのキーワードになりそうなのが、実はこちらも“3連覇”。昨年の覇者であり、この春の高松宮記念も制したカレンチャンが史上初となるスプリントG1・3連覇の偉業に挑みます。
ご存知の通りスプリントG1の歴史は他のG1と比べると比較的に浅いのですが、それでも先にスタートしたスプリンターズSが今年でG1昇格22年目。後発の高松宮記念でも16年目。その歴史の中で多くの名スプリンターが誕生してきました。ただ、国内スプリントG1の連覇記録としては、まだ“2連覇”が最高。その2連覇を達成した馬は現役のカレンチャンも含めて、過去に6頭を数えます(連覇ではないキンシャサノキセキを加えるとスプリントG1・2勝馬は計7頭)。カレンチャンの3連覇挑戦の前に、先達の足跡をざっと振り返ってみると……。
サクラバクシンオー 92スプ(6)→93スプ(1)→94スプ(1) フラワーパーク 96高松(1)→96スプ(1)→97高松(8)→97スプ(4) トロットスター 99スプ(7)→00高松(9)→00スプ不→01高松(1)→01スプ(1)→02高松(5)→02スプ(9) ビリーヴ 02スプ(1)→03高松(1)→03スプ(2) ローレルゲレイロ 08高松(4)→08スプ不→09高松(1)→09スプ(1)→10高松不→10スプ(14) キンシャサノキセキ 08高松(2)→08スプ(2)→09高松(10)→09スプ(12)→10高松(1)→10スプ(2)→11高松(1) カレンチャン 11スプ(1)→12高松(1)→12スプ?
●世が世なら……サクラバクシンオー 初代の連続王者となったのは、あのサクラバクシンオー。3歳の暮れ(当時の表記で4歳)に挑んだスプリンターズSでは同期の桜花賞馬ニシノフラワーの6着に敗れましたが、4歳時と5歳時にそのスプリンターズSで堂々と連覇を飾りました。ちなみに、この当時の高松宮記念はまだリニューアル前の2000m戦だったので、国内のスプリントG1は年にこのレースひとつだけ。世が世なら、おそらくスプリントG13連覇を達成していたと見て間違いないでしょう。何しろ、前述した3歳時のスプリンターズSが、このバクシンオーにとって、1400m以下での生涯唯一の敗戦だったのですから。ちなみに、2度目のVとなった94年のスプリンターズSが自身の現役最終戦。4馬身差の圧勝、日本レコードのおまけつきで花道を飾り、種牡馬入りしてからもショウナンカンプによる父仔2代のスプリントG1制覇など大成功を収めたバクシンオーでしたが、昨年の4月、心不全のため惜しまれつつこの世を去っています。
●死闘の末に連覇達成……フラワーパーク 2頭目のフラワーパークは快速で鳴らしたニホンピロウイナーの愛娘。96年、スプリントG1としてリニューアルされた高松宮記念(当時は高松宮杯)を最初に勝った馬ですが、それ以上に記憶に残るのは同年のスプリンターズSでした。エイシンワシントンとの一騎打ちは3着のシンコウキングを置き去りにすること実に5馬身。レース史に刻まれる死闘の末に、牝馬としては初めてスプリントG1連覇を達成したのです。翌春、エイシンワシントンが去った高松宮記念でも当然のように1番人気に支持されたフラワーパークでしたが、5カ月前には5馬身の差をつけたシンコウキングに完敗。3連覇の夢は叶いませんでした。
●その1年だけ別馬の如く……トロットスター トロットスターはスプリントG1に通算6回出走していますが、半分の3回は着外。この中ではかなり地味な存在といえるでしょう。しかし、2001年春の高松宮記念は破竹の4連勝でスプリント王に就任、4カ月ぶりの実戦となった秋のスプリンターズSでその座を守ったのですから、この年だけ、まさに別馬のような(失礼)強さを発揮したといえるでしょう。それはそれで、個性的な名スプリンターとして記憶に残る一頭です。
●ハナ差で逃した3連覇……ビリーヴ ビリーヴは大種牡馬サンデーサイレンスに初めてスプリントG1のタイトルをもたらした孝行娘。そのイメージが強烈ですが、今回のテーマであるスプリントG1・3連覇記録に関していえば、今までで最も惜しかった馬といえます。02年秋のスプリンターズS、03年春の高松宮記念を連覇して臨んだ03年秋のスプリンターズSは、既に現役ラストランと決定していた一戦でした。好位追走から一旦は完全に抜け出し、スプリントG1・3連覇で花道を飾るかに思えたその刹那、大外から聖剣デュランダルが一閃。僅かハナの差でその切れ味に屈したのでした。ちなみにビリーヴの生涯10勝はすべてが芝1200m。まさに生粋のスプリンターだったといえるでしょう。
●似たもの(?)親仔……ローレルゲレイロ 前出のビリーヴのように、スプリントG1を2度も制すような馬は“距離適性が6ハロンに特化されているからこそ”、そんなイメージが強いのですが、このローレルゲレイロの場合はG1以外の重賞勝ちが1400mと1600m、ほかにマイルG1で2着2回。更に数字を挙げると、1200mの重賞で3連対、1400mの重賞で3連対、1600mの重賞では5連対。その生涯成績を俯瞰すれば、むしろマイラーという印象が強くなります。そういえば、父のキングヘイローもマイル、中距離、更には長距離の大舞台で健闘を重ねた馬ですが、唯一のG1勝ちは1200mの高松宮記念。このコンビが高松宮記念では初の父仔制覇を達成したのですから、競馬は本当に難しく、面白く、そして奥が深い……。
●番外編だけど……キンシャサノキセキ、そして、タマモホットプレイ “連覇”ではないのであくまでも番外編になりますが、春秋のスプリントG1に計7回出走して、2勝を含む5連対。キンシャサノキセキのこの記録には、3連覇に比肩する価値を感じます。勿論、いくら際どい2着でも負けは負け。その理屈はよく分かりますが、長きにわたってチャンピオン争いを続けてきたこの馬の実力は間違いなく本物。こう書くと、「6歳時はずっとスランプだった」と突っ込みが入りそうですが、そのスランプから不死鳥のように這い上がってきたからこそ、“キンシャサの奇跡”ではないですか。 ちなみに、よく7回も出走したものだと感心しながら調べたところ、上には上が……。04年のスプリンターズSから08年のスプリンターズSまで、タマモホットプレイは春秋のスプリントG1に一度も休むことなく挑戦を続け、その出走回数は実に9回。全成績は(8)(7)(6)(9)(15)(10)(5)(17)(16)着でした。 もうお気づきかと思われますが、キンシャサノキセキもタマモホットプレイも父は同じフジキセキ。そのフジキセキはというと、クラシック最有力と目されながら、屈腱炎のために僅か半年の競走生活(4戦4勝)でターフを去った馬。こちらは“似たもの親仔”ではなく、互いが対極に位置する親仔関係といえるかも知れません。
さて、最後は話が少々脱線しましたが、果たしてカレンチャンは史上初の3連覇を達成できるのか? シーズン緒戦のセントウルSでは4角先頭から流れ込んでの4着という結果でしたが、夏場全休で体重が22K増だったこと、そして、先着を許した面々に対して本番では斤量が有利になること思えば、3連覇は十分に可能ではないでしょうか。勿論、結果は神のみぞ知るということになりますが、大きな記録の懸かるこのスプリント頂上決戦。秋のG1シリーズ開幕戦に相応しい一番になることは間違いなさそうです。
美浦編集局 宇土秀顕