『小さな声でも』
6月10日3回東京4日目8Rの一件には、しっかりした後日談も追加されました。その時の勝ち馬ファイナルフォームがラジオNIKKEI賞を制覇したのはご存知の通りですが、それは2勝馬同士の抽選を潜り抜けた末の出走。競馬に“たら・れば”がお呼びでないのは承知していますが、もしも6月10日の裁決が違ったものだったら、などと余計な想像をしてしまいます。歴史が変わっていたかもしれませんから。ともかく、事実としてファイナルフォームが菊花賞戦線に名乗りを上げた、ということだけは間違いありません。 そこに特別なドラマ性を見出そうなどとこじつけるつもりもないのですが、しかしラジオNIKKEI賞の勝ちっぷりの鮮やかさ、強さは紛れのないもので、秋に大きな仕事を成し得る本当に特別な馬である可能性は十分にありそうです。
この後日談まで含めたファイナルフォームの一件を考えると、改めてリアルタイムで競馬を、レースを見る行為というのは、目の前で刻まれている歴史を体験することに他ならないのだと思わされます。今まさに刻まれている歴史に直接触れている、と言い直してもいいかもしれません。つまり、『参加している』わけです。
そんなようなことを考えていて、遠い昔のある事件を思い出し、そして最近の場内の雰囲気について感じ続けていた事にまで発想がつながっていきました。時代的な風潮、とまで言うと大げさかもしれませんが、それってどうなのかなあ、といったようなこと。
6月10日3回東京4日目。この日、記者会見が開かれたのは前回に触れた通りですが、これはレース確定後、一時、場内が騒然となったことを受けて、だったかと思われます。 これと似たことが、昭和62年10月25日にもありました。場所は同じ東京競馬場。その日の最終レースで、ほぼ2着を確保したかに見えたモガミシャインが、ゴール前、そうですねえ、結構な距離だったような気もしますが、とにかく数メートル、鞍上が追う姿勢を取らず、追い込んできたハヤテキリコに頭差交わされて3着に終わりました。昨今、しばしば話題になる“油断騎乗”と言っていいと思います。 お断りしておきますが、ここでそのことを問題にしたいわけではありません。そのレース後に、今回と似たようなことがあった、という話を…いや、“似て非なるもの”というべきでしょうか。筆者の入社して間もない頃で、記憶がところどころ曖昧になっているのですが、かいつまんで説明すると以下のようになります。
当時の東京競馬場のスタンド2階に“整理本部”がありました。普段どういう業務が行われていたのか詳細はわかりませんが、落し物や忘れ物、それに迷子の受付といったような警備面、それとはまた別にインフォメーション的な役割もあったのかもしれません。 ともかく、その本部内の部屋で、上記最終レースのモガミシャインについての説明会があったのです。ただ、そこに集まっていたのは新聞記者だけではありませんでした。今回と“似て非なるもの”というのがここ。一般のファンが居たのです。そもそも、「ファンが騒いで整理本部に何人か押しかけている」という話を耳にして部屋を覗きに行ったように思うので、いわゆる“記者会見”ではなかったのではないか、と思います。 そこでのやりとりを一部始終見たわけではないですが、その日、騎手に対して下された裁定は、「正式な処分決定まで騎乗停止」だったかと思われます。というのも、正式な処分は後日に発表になったから。あるいは一時的に“競馬場で裁決委員が科すことのできる最長の処分期間30日”を適用したのかどうか。ともかく、後日発表になった処分は「4カ月間の騎乗停止」でした。 昨年、同じような事案で“騎乗停止30日、実効9日間”が適用されました。その際、いろんなところで“厳罰”という表現を見ましたが、いや勿論厳罰には違いないですけど、でもこのケースと比べてみてどうでしょうか。
昭和62年と言えば、『JRA』という略称が正式に制定され、場外馬券売場の名称が『WINS』に統一された年。イメージアップに躍起になっていたことは想像に難くないですし、八百長などは言わずもがな、少しでもダーティーなイメージは排除したかったはずで、それが上記の厳罰にも影響したのかもしれません。 しかし、と思うのです。 整理本部に詰め掛けたファンの熱は、まったく影響がなかったのだろうか、と。 世はバブル景気。日本中が異様な熱気に満ちていて、その風潮が競馬の世界にも伝播してきていたのは確かでしょう。それが空前の競馬ブームを経て、急速に冷めてしまった。バブル期が異常だったのであって、まともな感覚を取り戻したのだ、という見方もできるかもしれません。でも、目の前で起きていることを冷静に、正確に判断する姿勢まで時代感覚に流されてしまうのは、正直、危うさを覚えます。 話が思い切り飛躍しますが、かつて三無主義とか四無主義と呼ばれた世代が存在しました。学生運動の着地点を見てしまった世代を指すのかどうか定かではありませんが、とにかく、その言葉から受ける印象は、シラけていたり、あきらめていたり。 最近の競馬を取り巻く環境、雰囲気がこれだとは言いませんが、どこか安易にあきらめてしまっていないか。体制側から与えられた、何もかも満たされた環境に慣れて、その挙句、見なくてはいけないところを見ないようにして済ませてはいないか…と。 某電力会社の株主総会で、経営方針についてさまざまな意見を口にする株主さん達がいました。会社法の枠組みの中では、彼らは少数派で弱い立場に過ぎませんから、すぐに何かを変えることはできません。できませんが、声を上げ続けることで、それまでとは違った視点や発想が広がります。 『アジサイ革命』とか『アジサイ運動』と呼ばれている、金曜日に首相官邸を取り囲んで行われている反原発デモ。あれなどもそうですが、単なる“音”ではない小さな声が、やがて大きな声になる、かも知れない。
昭和62年の話の流れから、ジョッキーへの制裁をより厳しく、なんてことを言いたいのかと思われては心外。そんな気はありませんし、無論、別の何かを扇動しようなんてつもりも毛頭ありませんので、くれぐれも誤解のないように。 ただ、競馬に関わっていて不自然な、あるいはレースを見ていておかしなことが起きたら、対象が何であれ誰であれ、声を上げていいのでは、いや、上げるべきなのではないでしょうか。そう感じているだけです。 ネット上でしばしば見られるひとりよがりな意見や、傲慢かつヒステリックな物言い、方法では逆効果になるかもしれません。その点だけは注意して、発した声が誰かに、どこかに届く、という可能性を信じて…。
美浦編集局 和田章郎