『JRA競馬講座〜接着装蹄』
「装蹄〜特殊装蹄〜について」と題した競馬講座が6月6日(水)午後4時より、栗東トレーニング・センター競走馬診療所内装蹄室にて開かれた。記者を対象としたJRAによる競馬講義は定期的に行われ、これまでにも競走馬の疾病、トレッドミルを用いた研究、個体識別とマイクロチップ、屈腱炎の再生医療、喘鳴症の診断と治療法などを勉強させていただいている。今回のテーマは蹄が薄い等の理由で釘を打つのが困難な馬たちに実践される、強力な接着剤で蹄鉄を固定する「接着装蹄」。スターホースではディープインパクト、ウオッカなどが有名で、昨年はグレードレース出走馬を主に、延べ253頭に施されたという。栗東トレセン診療所装蹄師の糸賀専門役、そして、中島さん、(女性の)大瀬さんを講師に迎え、研究馬への装蹄の実演を見学しながら、みっちりとお話を伺った。
接着装蹄の手順はこう。まず古い釘を慎重に抜いて蹄鉄をら外し、蹄を切る。人間でいうところの爪切りのような道具でパチパチとぐるり1周。それから蹄刀や蹄鑢で丁寧に整える。汚物が残っていると接着力が弱まるので、汚れをしっかりと取り除くのがポイントとのこと。水分にも弱いため、バーナーをかざして乾かし、水気を飛ばしていく(雨降りの日は大変らしい)。次に接着剤を用意して蹄と蹄鉄を固定する作業へ。接着材は2種類のクリームを練り込んで作られるが、混ぜ合わせることで化学反応を起こして熱をもち、冷めていく段階で固まり出す性質。熱めのホッカイロぐらいの温度で、匂いははっきりセメダインだ。凝固はすぐに始まるから、ゆっくりはしていられない。蹄に蹄鉄よりひと回り小さいクッション材(硬くなった接着剤が蹄底を圧迫するのを防ぐ、または、知覚部と角質部の境目に石などが入ると痛いのでそれを防ぐため)をあてがい、蹄鉄を乗せ、全周、外周、特にカカト部分にたっぷり(※ここポイント)と接着剤を塗り込んでいく。作業を終えると熱をこもらせ接着力を高めるためにラップを巻き、蹄鉄がずれないように時間をおいて固まるのをじっと待つ。乾ききったらラップを外して、蹄鑢で接着剤と蹄をならして磨きあげる作業。釘も接着剤も蹄と同じ硬度といわれ、つるりと一体感のある接着装蹄が完成した。
釘による装蹄なら1頭4本脚を約30分ですむが、1本の作業が終わっても乾燥するまで脚を動かせずすぐに次の脚への作業に移れないから、そうはいかない。時間がかかればかかるほど馬のストレスが大きくなるため、今日は前脚、明日は後脚というふうに日を改めて行われているとのことだ。余談だが、手間暇かかるから料金も割高で、通常なら1頭4本脚で約2万円が、1本脚につき2000〜3000円程度の割り増しとなるらしい。あ、そうそう。馬券を買う側として覚えておきたいのは、手間暇かかるという理由でレース直前に落鉄したケースでは対処できないということ。接着装蹄の馬がレース直前で落鉄した場合は、釘で装蹄するか、裸足で走るかの二者択一だそうだ。
本誌連載中の「競走馬スポーツクリニック」vol.11で青木修先生が書かれていたように、接着装蹄法は「蹄機の保護」の面で問題点を抱えており、今回の講義でも長期的ではなく、短期的な利用が望ましいとの見解だった。蹄機は蹄が加圧によって変形する現象で、平たくいえば、着地した際に爪が広がって衝撃をやわらげたり、血液循環の役目を果たし、カカト部分で最も大きく起こる。一般的な蹄鉄をよく見ると分かるが、釘穴があるのは前方部分から両サイドまでで、残り3分の1のカカト部分には穴が開いていない。つまり、カカトの変形を妨げないように、前方部分だけで固定されているのだ。しかし、接着装蹄は真逆。前方だけではとても固定できないし、カカトの動きを抑え込まないことには強固に接着できない。だから、後方部分にたっぷりと接着を塗り込む手法がとられる。それともうひとつ。接着装蹄によって保護されたなかで伸びる蹄は温室育ちであり、上質な角質ではないとのこと。爪の成長への影響も案件のひとつであるようだ。
最後にある記者が「どんな蹄の馬が走るのですか?」と問うと、糸賀氏は「そりゃもう、健康的な蹄であることです」と回答された。「痛みがなければ思い切り走れますから」と続ける。「蹄なくして、馬は無し」の格言があるが、強い馬、走る馬ほど蹄の悩みはあるようだ。弱点を補いながら鍛え抜かれ、高みを目指すサラブレッドたち。パドックではぜひ蹄と装蹄にも注目してみてください。
栗東編集局 山田理子