『ハナ差で運命は変わったか』
春のG1シーズンの真っ只中、しかも、そのクライマックスとも言えるダービー当週にコラム当番が回ってきました。皆さん、この春は儲かってますか?それともヤラれてますか? まあ、儲かったりヤラれたりを繰り返すから競馬は楽しいんですよ。私の場合、周りのスタッフに比べると張ってるお金は微々たるもの。それでも「金額ではないんだ」と自らに言い聞かせながら、ささやかな額の当たり外れの中で競馬を楽しんでいます(笑)。 さて、数あるG1の中でもダービーだけは別モノという声は少なくありません。私自身はどちらかと言えば古馬のG1派。キャリアの浅い若駒の戦いよりも、そこまでに色々なものを背負ってきた歴戦古馬の戦いに、より心を惹かれる傾きにあります。ただ、それでもダービーのゲートが開いた時のあの高揚感だけは特別なもの。魔法にでもかけられたように、そこに引き込まれてしまうのは、やはりダービーには特別な“何か”があるからでしょう。今はその高揚感を現場で味わえない立場ですが、府中から遠く離れた美浦編集部でテレビ観戦していても、あの独特の雰囲気は十分に伝わってきます。
▼褐色の弾丸のようだったブライアン ところで、そんな格別の舞台を独走できたとしたら、それはもう本当に格別の思いが沸き上がってくるはず。勿論その境地は、実際に後続をちぎってゴールを駆け抜けた馬と、その馬上に跨るジョッキーにしか分らないものであって、観戦する側の我々はただただ推測するのみですが。 ちなみに過去78回のダービー史で、着差が最も開いたのは昭和16年のセントライトと同30年のオートキツが記録した8馬身差。次いで、昭和38年のメイズイの7馬身差。しかし、その昭和38年当時まだ1歳だった私にとって、ここまではすべて“記録の中”の世界。もうひとつ下がって、4位タイの3頭(6馬身差)の中に、ようやくライブ観戦したメリーナイスの名前が見出せます。 ただ、ライブ観戦したはずのメリーナイス以上に強烈に記憶に残るのが、これに次ぐ5馬身差を記録した5頭の馬のうちの1頭、ナリタブライアン。直線では「何もそこまで」というくらい外に持ち出して、ゴールでは孤高の5馬身差。極端に言えば、同期生17頭の争いにはまったく参加せずに、ただ一頭、褐色の弾丸の如くゴールに飛び込んできた。そんな印象を強く抱いたダービーでした。
【ダービーにおける着差記録】
▼負けるが勝ち? 一方、最小着差であるハナ差の決着は過去に7回を数えます。2400bを走り抜いた末のたかだか数センチ、されど、勝者と敗者を厳然と分ける数センチ。しばしば、“運命を変えた”などと形容されるこの僅かな差。輝くダービー史に歴代優勝馬として名を残せるのか否か……。確かにそこには大きな違いがあるし、少々下世話な話になってしまうけれど、もらえる賞金も倍以上違う。その意味では“大きな大きなハナ差”であることに違いありません。ただ、激闘を演じた2頭のその後の運命を辿ってみると、少々話は変わってきます。とりあえず過去の7例を調べてみると……。
【ダービーでのハナ差】
まず、ダービー後の競走成績を比較して見ると、これはもう完全にハナ差で負けた方の勝ち(変な表現ですが)。特に戦後の6組に限って見ると、ハナ差勝ちした馬でその後に勝利を挙げたのはダイゴホマレとカツラノハイセイコだけ。6頭のうち半数の3頭はダービーでの激闘を最後に現役を退いているのですから、ハナ差勝ちの代償はあまりに大きなものだったと言えそうです。一方、ハナ差に泣いた方の6頭中、インターグッドを除く5頭にはその後に勝ち鞍があり、そのうち1頭はG1に優勝、3頭は複数の重賞勝ちを記録しています。半数の3頭が菊花賞でも2着だったあたり、“ダービーのトラウマ”といった感も否定はできませんが、いずれにせよ、ハナ差で先着された相手を見返すには十分な成績といえるのではないでしょうか。 勿論、溜飲を下げたとは言い切れない馬もいます。それが直近のハナ差2着馬エアシャカール。もし、ダービーでのハナ差が逆転していたなら史上6頭目の3冠馬だった訳ですから、エアシャカールにとっては運命を大きく変えたハナ差でした。
▼結局のところは…… ただ、視線をもう少し先まで延ばして現役を退いてからの足跡まで辿ってみると、その日、ハナ差で笑った方もハナ差に泣いた方も、だいたい同じようなもの。どの馬も種牡馬生活に入ってからは苦しい戦いを強いられています。目につくのはオークス2着のユウミロクを出したカツラノハイセイコくらいですが、そのカツラノハイセイコにしても期待に応えるだけの種牡馬成績を残したかとなると疑問符のつくところ。 ところで、どの馬も種牡馬としては苦戦した中、14頭の中でただ一頭だけ種牡馬入りできなかった馬がリンドプルバンでした。ダービー以降、鳴尾記念、高松宮杯と重賞に2勝を挙げたリンドプルバンは、6歳(当時の表記では7歳)の中山記念を最後に現役を引退。長距離指向の血統が嫌われて種牡馬入りは叶いませんでしたが、中山競馬場で誘導馬となり、その誘導馬も引退するとJRA日高育成牧場で隠居生活に。ライバルであるカツラノハイセイコの33歳には及ばなかったものの、28歳で天寿を全うしたこの“ハナ差2着馬”が、ある意味、最も穏やかで幸せな生涯を送ったと言えるかも知れません。 勿論これは私の勝手な憶測ですが……。
美浦編集局 宇土秀顕