『読み比べ』
体験したことがなかった揺れが数分間続き、取り置き用の週刊誌を収納した書棚が横倒しになり、その他の資料もフロアに散乱。パソコンは机の上を横滑りし、宿泊棟の壁は一部崩落。津波に襲われた東北地方からすれば、ごく軽微ではありましたが、美浦支局にもしっかりと爪跡を残した東日本大震災。早いもので、1年が経ちました。
あの日から、価値観だの物の見方だの、いろいろなことが変わった感じがします。社会全体ではどうなのかわかりませんが、個人レベルでは、特に感受性の部分に影響があったかなあと思っています。見えている対象をどう捉えて、どんなふうに感じるのか。自分がこれまでと同じ行動を取ったとしても、得られた結果に対する評価の仕方や、満足の度合いといったものが微妙に違っている。そんな感じでしょうか。 ま、小難しいことは抜きにしても、感受性ということで言えば、涙もろくはなりましたかね、恥ずかしながら。
そのきっかけになったひとつに、“3・11”以降、毎日の楽しみになった『天声人語』と『編集手帳』の読み比べ、がありました。ご存知の通り前者が朝日新聞、後者が読売新聞の1面に掲載されているコラム(この表現でいいんでしょうか?)。たまたま両紙を読める環境にあるので、震災前も両方を読んではいましたが、3・11以降の数日間、どれだけ泣かされたことか。いやもう本当に。 短文の難しさはよくわかっているつもりです(字数に制限がある場合は特に)。その道の達人である両コラムの書き手が、「精魂を込めて」、「全能力を傾注して」という表現では足りないくらいに熱の入った文章が、連日、紙面を飾っていました。お互いを意識してるかどうかはわかりませんが、まさに競うようにして。いや勿論、普段から全能力を傾注しておられるんでしょうけど、いつにも増して、の印象でした。おそらく他の新聞もそうだったのでしょう。 興味深い新聞記事は、上記コラムに限らず、ジャンルを問わず、昔ながらにカッターやハサミで切り抜いてクリアファイルに保管するようにしているのですが、3・11以降の1カ月分くらい、切り抜く時間がなく、後でまとめてやろう、なんて思って新聞をそっくりそのまま残していたのです。それが1年経っても同じ姿のまま自宅の机の横に残っていました。どこかで、“終わらせたくない”感覚があったからでしょうか。とにかく、ここにきて「早く片付けろ」というプレッシャーがかかり始めたので、先日重い腰を上げ、読み直しながら切り抜き作業に取りかかったのです。その際に、思い出した次第です。
ところで、その『天声人語』も『編集手帳』も、何百万部も売れている新聞の人気コラム。私などが読み比べて、今更どうこう言うのはおこがましい対象です。何せ読者は多く、普段から様々な批評に晒されていますから。そこには好意的な意見ばかりでなく、批判的な意見も少なくない。こればかりは宿命なのでしょう。 そんな中のひとつで、たまに目にしたり耳にするのが、「引用の多用」みたいな指摘。そういうところは認められなくもないですが、インターネット上でありがちな、“出典を明示していない”ようなことはありませんし、私などは批判精神が乏しいせいなのか、「活字文化は素晴らしいよ、てなことを啓蒙しようとしてるのかな?」くらいに思いながら読んでいて、口さがない方は大勢いらっしゃる…いやいや、いろいろな意見があるものだな、と思うばかり。単に手法が気に入らないから「やめろ」というのは、どこか違っている気もしますし……。 まあね、私だって、あんまり面白くなきゃ読まないです。そう、ただそれだけのこと。逆に気に入った記者さんのコラムや、興味深い記事が載っていれば、それだけで購読する価値はあるわけです。要するに面白い物を読ませて頂ければいいのですから。 結局のところ、新聞とか雑誌とか、漫画雑誌などでもそうですが、ライバル社との差が生じるのは、記者さんの力量とか掲載されている中身、質の差、ということになるのでしょう。まったくもって今更ながら、ですけれど。 そんなようなことも踏まえて楽しむ“読み比べ”。対象は上記コラムだけではありません。私の場合ですと社説、読者の投稿、文化・芸能、サブカルチャー、スポーツ等になるでしょうか。政治経済、国際情勢、金融関係はどうしたって?それはたまにということで…。やっぱり、自分の嗜好性に沿った物になりますかねえ。
先に“たまたま両紙を読める環境”なんて書きましたが、ご存知の通り、今は昔と違って誰でも簡単にネットで各紙を閲覧することができるご時世。パソコンの前でも、この新聞の“読み比べ”は楽しめます。いやもう新聞に限らず、雑誌とか、週刊誌とかでもいいでしょう。それこそ、私ども競馬専門紙もその対象になったりして?とにかく、思いついた時に、一度、是非。 そうそう、「パソコンでの閲覧だと、ちょっぴり味気ない」という方がいらっしゃるかもしれませんね。でもね、日本では宅配による販売が主流なため、新聞“紙”はなくなりにくい、という話を聞いたことがあります。まだまだインクの臭いをかぎながら、手を汚しながらの“読み比べ”は続けられるはずですよ。
美浦編集局 和田章郎