『あの10年、この10年、これからの10年』
今年で第31回を迎えるジャパンC。物事の歴史や時の流れを“10年紀”という概念で捉えるなら、この、わが国で最初の国際競走は今年から4度目の10年紀に突入しようとしています。
何もかもが手探り状態だった第1回(1981年)。当時、辛うじてまだ10代だった私ですが、“米のメアジードーツが勝った”、というよりも、“ホウヨウボーイ、モンテプリンスでは歯が立たなかった第1回ジャパンC”として、強く記憶に残っています。まだヨーロッパ圏からの招待馬はなく、北米からの代表も決して一線級とはいえなかった外国勢。日本の現役最強クラスの馬たちが、そんな外国馬の影すら踏めなかったシーンには大きな衝撃を受けたものでした。
こうしてスタートした国際競走ジャパンCの歴史ですが、その後、日本馬と外国馬の勢力図は刻々と変化を辿って今日に至っていることはご存知の通り。
創設3年目の83年にはキョウエイプロミスが日本馬として初連対、翌84年にカツラギエースが日本馬初優勝の快挙、そして、85年にはシンボリルドルフがこれに続いて日本馬の2連勝。世界との差が一気に縮まったかに見えたのですが、それも束の間、そこから外国馬が6連勝を記録しました。ジュピターアイランドとアレミロードのワンツーで大英帝国が威信を示した86年。ちなみに、日本を除いた招待国の“同国ワンツー”は30年の歴史の中でもこの1回しかありません。また、89年にニュージーランドのホーリックスが驚異のレコード2分22秒2でオグリキャップを斥けると、翌90年にはオーストラリアのベタールースンアップが優勝、更には、1年置いた92年に同じくオーストラリアのナチュラリズムが2着と、この時期に吹き荒れたオセアニア旋風も印象に残るものでした。そして、その後に訪れた日本馬の黄金時代……。
ところで冒頭でも述べたように、“10年紀”という観点から日本馬、外国馬の成績を捉えると以下の通りになります。
まあ、こんなデータを出さなくても、近年の日本馬の活躍は多くの方々が肌で感じ取っているところでしょう。ですが、こうして数字で示してみると改めて驚かされるのが、この10年間の日本馬の目覚しい活躍ぶり。勝利数、連対数、入着数とどれを取っても日本馬のワンサイド。そして、08年は実に上位8頭までが日本馬という歴史的な圧勝もありました。この時は外国馬が僅か3頭という事情もあったのですが、その外国馬が8頭揃った昨年、再び上位の8着までを日本馬が独占。“3度目の10年”を象徴するような結末でした。
外国馬が優位に立った最初の10年、両者がほぼ拮抗した2度目の10年、そして、日本馬が圧倒した3度目の10年……。これを受けて、今年から始まる4度目の10年は果たしてどのようなものになるのでしょうか。ちなみに、日本馬、外国馬が拮抗する10年になって欲しいというのが私の願望です。
美浦編集局 宇土秀顕