『調教時計はどうやって採るの?』
調教時計といえば、能力表、厩舎談話と並ぶ競馬専門紙のメインコンテンツのひとつ。一見すると無味乾燥ともいえる数字が並んでいるだけで、特に初心者にはどこをどう見ればいいのか分からないものの代表でもある。それでも時計を「読む」ことに慣れてくれば、ただ数字が並んでいるのではないことが分かる。例えば新馬が速い時計で古馬に先着していれば素質の高さが窺えるだろうし、15〜15程度の時計しか出したことのない馬が6F80秒程度の強い調教をできるようになっていれば飼い葉をしっかり食べて力がついてきたと考えられるだろう。逆に毎週毎週長目からの強い調教を繰り返しているなら太目が抜けないのかと推測することもできる。このように、順調に調整できているか、前走時からの体調の変化はどうかなど、さまざまな情報が読み取れるのが調教時計だ。
坂路の時計は調教ゼッケン後尾にとりつけられたバーコードを1ハロン毎にコース上に架設されたセンサーで読み取って自動計測されているが、トラックの時計は今も採時担当トラックマンによる手動計時。いずれはGPSを利用した自動計測ができなくはないはずで、ずいぶん前にテストも行われたが、量の問題か精度の問題か予算の問題か、いろいろあって今のところ実用化には至っていない。栗東トレセンのトラックは内からA(障害、1周1450m)、B(ダート1600m)、C(ウッドチップ1800m、CWと表記)、D(内半分が芝1950m、外半分がニューポリトラック=Pと表記)、E(ダート2200m)。芝とポリの間にラチはないが、それぞれ独立しているので合計6本のコースで追い切りが行われる。忙しいCWなどは数人がかりだし、逆に暇な日には1人で何本かを兼任して時計を採ることになる。
さて、実際に調教時計はどうやって採り、どう計算するのか。知っていたとして何の役にも立たないが、携帯電話についているストップウオッチ機能でも間に合うので、覚えておいてトレセンの公開調教見学時などに実践してみると良いかもしれない。
栗東CWを例にとると、スタンド前から入場した馬は向正面で加速し、6F標通過、3コーナー手前の5F、3コーナー過ぎの4F、4コーナー手前の3F、最もスピードが上がる直線残り1F、そしてゴールというのが追い切りの一般的な流れ。直線に入るとすぐ2F標があるが、ここでは時計は採らない。角度の関係で困難を伴うせいもあって、伝統的にそうなっている。そういうわけで、普通は1頭について6回時計(のボタン)を押すことになる。左手に持ったストップウオッチは馬場開場とともにスタートさせ、そのまま動かしっぱなし。ストップはしない。馬が各ハロン標(ハロン棒)を通過するごとに「LAP/SPRIT」ボタンを押して表示されたスプリット欄の数字を右手に持ったペンでノートにメモしていく。トラックマン=双眼鏡と思われるかもしれないが、このように左手が時計、右手はペンでふさがっているので、採時担当者は実際それほど双眼鏡は使わない。遠くが見えるぶん、視野が狭くなってしまうせいもある。使わないといえば、今はもう誰も使わないのがアナログのストップウオッチ。昔はミネルヴァ社製の30秒針(1周30秒)のものが主流で、左の小さいボタンを押すとスプリットタイムを示す赤い針だけが止まり、それをメモしていった。デジタルなら後から数字を呼び出せるので、例えば1秒間に数回ボタンを押すということができるが、アナログはそういうわけにもいかない。1回ボタンを押すと赤い針が止まり、もう1回押すと動くという繰り返しなので、A馬の数字1コ読み取ってメモしてすぐコンコン(1コ目のコンで動かし、2コ目のコンで止める)と時計を押してB馬の数字を読み取ってメモというのを短い間隔でこなさなければならない。この一連の動作を0.6秒以内でできれば一人前といわれたが、私の目の性能ではだいたい0.8秒を要し、一人前になる前におっさんになってしまった。
脱線しました。計算の方法の説明に移ります。
ハロン棒ごとにメモした数字は例えば以下のように並ぶ。
14.3(6F) 29.4(5F) 43.5(4F) 56.3(3F) 21.7(1F) 34.0(ゴール)
時・分と100分の1秒は省略する(実際の採時担当者のノートには小数点も省略し[143 294 435 563 217 340]というふうに記される)
左端が6F、右端がゴールになるので、右端の数字から各ハロン棒での数字を引けば答が出てくるわけだ。
1F 34.0−21.7=12.3
3F 34.0−56.3=ん? マイナス?
さっそく行き詰まったが、ゴールの数字にはつねに背後に60秒(とその倍数)が隠れていると考えれば良い。つまり、
3F 34.0+60→ 94.0−56.3=37.7
4F 34.0+60→ 94.0−43.5=50.5
5F 34.0+60→ 94.0−29.4=64.6
6F 34.0+60→ 94.0−14.3=79.7
というわけでこの馬のタイムは79.7-64.6-50.5-37.7-12.3と計算できた。
では、ひとつ練習問題
[55.8 11.4 25.1 38.5 5.2 17.0]を計算してみよう。
1F 17.0−5.2=11.8
3F 17.0+60→ 77.0−38.5=38.5
4F 17.0+60→ 77.0−25.1=51.9
5F 17.0+60→ 77.0−11.4=65.6
6F 17.0+60→ 77.0−55.8=21.2? あれ?
このような場合、6Fでは更に60秒が隠れていると考えて、60+60=120を加えたものをゴールの数字として計算すると、
6F 17.0+120→ 137.0−55.8=81.2
となる。
慣れれば60を借りてきたり、120を借りてきたりという小学生レベルの面倒な手続きをしなくてもすぐに計算できるようになるが、考え方としてはこういうこと。
実際の調教ではアルペンスキーのように馬が1頭ずつスタートするわけではないし、途中から急にスピードを上げたり、向正面からコース入りしたり、他馬に抜かれたり抜き返したりと厩舎によって、馬によってパターンはさまざま。多くの馬が一斉に追い切る水曜朝一番のラッシュ時ともなると量的な問題で時計を押すだけで簡単なことではない。しかし、基本的には馬がハロン棒を通過する毎に時計を押してメモすることの繰り返しなので、理屈では同時進行で何組でも採時は可能ということになる。
専門紙の追い切り時計を見る場合、左の数字から右の数字を引いて(例えば81.2−65.6=15.6)頭の中にスプリットタイムを浮かべていくのはひとつの方法。どのように加速していったかをイメージしやすい。具体的な数字はコースによって違うが、滑らかに加速して最後の1Fもしっかり伸びていれば、追い切りの映像を見なくても、良い動きであっただろうと推測ができるものだ。
栗東編集局 水野隆弘