『ふたつのワールドカップ』
なでしこジャパンの活躍によって今年ふたつめの「ワールドカップ」が日本にもたらされた。ひとつめはいうまでもなく3月末のヴィクトワールピサによるドバイワールドカップ制覇。このふたつの快挙は、どちらも可能性としてありえないことではなく、いつかは手が届いたものでもあったのだろうが、同じ年に実現したというのは実力×確率を考えれば奇跡的といえる印象もある。ただし、ドバイワールドカップは競馬好きにとってのみ歴史的大ニュースであり、サッカー女子ワールドカップもその規模やレベルにおいて男子と比ぶべくもないので、それぞれマイナーな性格を帯びているのは否めない。
でも、昨年来、こういった小さくキラリと光る世界的な快挙というのが日本に続いているのは偶然だろうか。たとえば、小惑星探査機「はやぶさ」がイトカワの微粒子を採取して帰還したとか、国産スパコン「京」が計算速度世界一になったとか……。これら競馬やスポーツや最先端の科学技術にむりやり共通点を見つけるとすれば、どれも「今どうしても必要というわけではない」ものであり、ないからといって「ただちに問題となるものでもない」ということ。要するに経済的合理性ではその存在理由を説明できない。もちろん当事者にとってはなくなるとただちにメシが食えなくなるわけだが、それはどんな世界でも同じことだ。宇宙開発やスパコン開発、スポーツ振興は事業仕分けの対象となり、女子サッカー選手は経済的に厳しい環境に置かれ、競馬も周知の通り売り上げ減の底が見えないという状況。いずれもかつてない逆境が背景にあった。
今回のワールドカップの優勝が震災に沈む日本に前向きな希望を与えたように、実はただちに必要とされないところにこそ、価値が潜んでいる。それが文化の一側面であり、そういった余剰、あるいは遊びの部分をどれだけ抱えて維持していられるかが本当の国の力というものではないだろうか。
競馬の存在理由としては、かつては軍馬の改良に資するという実質をともなう大義名分があった。今はテラ銭を公共に回すことで賭博としての違法性を免れているだけと考えられがちだが、競馬法第1条には競馬を開催できるのは「著しく災害を受けた市町村」とあり、これは競馬法が昭和23年に施行されていることからも分かる通り、戦災復興の財源創出が主な目的だった。戦災復興だけでなく、実際に上山競馬は昭和31年の豪雨で被害を受けた上山市の復興のため昭和33年に始まり、役目は十分に果たした(その後、平成15年に廃止)。
競馬法第1条に示された競馬の「本来」の目的に沿う形で、JRAが集めた震災支援の金額をJRA発表からそのままひく(6月29日現在)。http://www.jra.go.jp/news/201106/062904.html
1.お客様からのご支援 計 4,074,723,045円 WIN5 1,825,448,220円 被災地支援競走 1,106,900,150円 被災地支援競馬(3/19〜27)の売上げの一部 1,000,000,000円 義援金募金(日本騎手クラブ、JRA共催) 98,015,163円 チャリティイベント関連 25,941,812円 フリーパスの日(3/19〜21)入場料相当額 14,350,700円 ヴィクトワールピサ記念デー(6/19・阪神)入場料収入額 4,067,000円 ※義援金募金には中央競馬サークル関係者からの厚意が含まれています。 2.中央競馬サークルからの義援金 202,728,000円 3.海外競馬サークルからの義援金 40,673,246円
上記のうち、「義援金募金」以下の金額は純粋な善意のお金であるのに対し、馬券の売り上げから出された上の3項目が競馬ならではのお金。馬券というのは誰もが儲けることをめざし、あわよくば配当金独り占めまでもくろむ利己的なもので、いわばエゴが数字に置き換えられた状態。もちろん、1万円を募金するより馬券で10万円にしてから寄付しようと考えたひとも少なくないだろうが、物事はそんなに思い通りにいくものでもないですよね。そういったもともと利己的なお金が馬券という仕組みを通過することで利他的なお金へとガラリと性格を変えるのは、公営ギャンブルならではの「化学反応」といえるだろう。
6月29日までの馬券の売り上げから出た金額の合計は39億3234万8370円。競馬ファンにはこれだけの巨額のお金を用意するだけの力があった。この金額はいざというときのための貯水池の大きさと、そこに溜められた水量を示すひとつの目安といえないだろうか。競馬だけでこれだけの余力があったと考えると、ふたつのワールドカップ制覇に不思議はないと思えてくる。
栗東編集局 水野 隆弘