『求められるもの』
スタンド前とか、向正面の2コーナー奥からとか、とにかくゲートが開く。先頭が1Fも行かない間に、 「そのままっ」 と叫ぶオジサン…いや、お兄さんが、競馬場でもウインズでも、たまにじゃなくて結構居たりする。
スタートの地点から考えると、レースが決着するのは概ね1分30秒後か2分後か、もしくはそれ以上か、でしょう。だから、そのオジサン…いや、お兄さん(しつこい)は、往々にして周囲からの失笑を買うことになっていて、無論、当人達も承知の上で半分笑いを取るつもりで口にしていたりします。
それを笑えているうちはある意味、健全です。観ている人の多くはスタート直後の隊列通りに決着するなんて、そうそう起こり得ることではない、と思ってますし、実際に逃げ馬が押し切ろうが追い込みが決まろうが、意外性に満ちた結末が待っていることの方が多いのですから。スタート直後の短い時間は、その後の予期しない展開に期待を膨らませ、自分が推理した“結末”に到る過程を改めて夢想できる、最後(?)の至福の時間と言えるかもしれません。
それがこの何年か、せっかくの至福の時間に気分がザワついてしまったり、前日から続く胸やけのような嫌〜なムカムカ感を覚えたりすることが出てきました。その遠因となっているのが、全く隊列が入れ替わらないと言っては極端かもしれませんが、でも、それに近いくらい殆ど展開に出入りがないまま流れ、まさに「そのまま」ゴールするようなレースの頻度が増えたから?そういったレースを見せられ続けたことで、ゴールした後のドッチラケ感をついつい連想してしまうからでしょうか。
誰が言い出したのか、いわゆる“スローペース症候群”というヤツ。激しい先行争いがないどころか、ちょっとした競りらしきこともなく、スタート直後から各馬が折り合いに専念。隊列というより、団子状となった馬群がレース終盤まで続き、直線を向いてからヨーイドン。変化に乏しいというか味気ないというか…。
以前、引退した騎手から聞いた話。逃げて絶妙な先輩騎手がいて、自分も行きたいタイプの馬に乗っている時の兼ね合いについて、「あの人に逃げられると何故か金縛りにかかったようになってしまう。向こうの術中に嵌まってるんだよね」と。魔法にかけられたかのような抗うことのできない状況でしょうか。特別な技術を競うプロの世界、そういう現象も起こり得るのでしょう。観ている方の興味としても、逃げ馬と2、3番手の馬達との駆け引きは気持ちが昂ぶるものです。ただ、このケースでは、好位よりも後ろの馬達が直線を向くまで動かないでいるということは稀。普通に考えて、前に位置する馬が楽をしていれば後ろは不利なのですから、どこかで動かないと勝負にならない。自ら動くことのリスクは承知で。それがスリリングな展開としてレースに新しい命を与えます。
なのですが、本当にそういうレースはとんと減ってしまった。フルゲートの最後方の馬までが金縛りにかかっている?うーん、私の受け取り方が異常で、一人で勝手に抱いている負の印象なんでしょうか。 競輪で“競り”とか“ブロック”に対するルールが厳しくなったのはいつ頃でしたか。ボクシングの試合でレフェリーストップが早くなったのは気のせい?両方とも滅茶苦茶好きな競技なので相変わらず楽しんでいますが、客観的にみた場合、かつてのような盛り上がりは感じられません。その原因のすべてを“攻防の過程を排除した結果”に求めようとは思いませんが、逆に「大したことではない」とも思えないのです。
まあルールで定められては仕方ないですが、我が競馬はそうではありません。フェアプレーに関することはここではひとまずおいておくとして、競り合ってはいけないとか、人気馬に絡んではいけないとか、本来的なレースの中身については明文化されていないし、不文律(?)のようなものもないはずです。 出走馬それぞれに様々な事情があるのはわかります。が、18頭がまったく動かない道中に、先頭から最後方までの各陣営の思惑、騎手の心理を読み取って、すべて理解しろというのは無茶でしょう。それより何より、そのことで攻防がなくなった状態が、観ている側の印象として、馴れ合っているように映ったりしたら良からぬことまで連想させたりしないでしょうか。真剣勝負が大前提のレースにおいて、攻防の過程を排除すると、決して好ましい印象は与えません。
馬券の売り上げは減り続け、競馬場の入場者数も減少の一途。新馬券の導入など手を替え品を替えて対策を練るのも結構なことですが、目新しさから当初は効果があったとしても、定着して慣れられてしまえば、問題を先送りにしただけになりかねません。
やはり基本はコンテンツとして魅力ある“レース”をいかに提供するのか、ではないんでしょうか。そのために必要な意識改革や、ルール上の問題等があるとすれば、徹底的に議論されていいのではないでしょうか、危機感を持って。
現在、競馬業界を取り巻いているあらゆる数字は、関わっているすべての人に、そういう姿勢を要求している気がしてなりません。いずれまた、別の機会に考察を続けられればと思います。
美浦編集局 和田章郎