『見る側の印象』
『5月技量審査場所』と銘打った両国国技館での相撲開催が終わり、名古屋場所の通常開催が決定。これで一連の八百長メール問題にも、一応の決着を見た形なんでしょうか。この話題が2月上旬に発覚した時から、週刊誌でもブックログでも、このリレーコラムでも取り上げてきましたが、気になって仕方ない理由はなんだったのかというと、無論、相撲が好きだからということはありますが、それだけではありませんでした。
「ある意味、イコールだと思っています」 “八百長”と“無気力相撲”の相違についての認識を問われた放駒理事長の答えがこれだったからです。このことが、八百長という表現を使わない云々以上に重大なことに思えました。つまるところ、ヤル気の有無を第三者が判断し、ヤル気がない力士を“八百長”の処罰の対象にしようというのですから。
競輪の場合ですと、“敢闘精神欠如”という書いて字の通りの罰則があるそうです。なるほど「ライン」なんて選手間同士の関係性が推理の肝になる競技だけに、余計にこのテの行為には敏感にならざるを得ないのでしょう。車券を買って見ている側としては、文字通りの出来レースになったら、たまったもんじゃないですもんね。
しかし、では何をもって無気力、敢闘精神欠如、なんてことを判断するんでしょうか?当の選手達に聴取してみたところで認めるわけはありません。状況証拠的に判断材料を提示できるケースもあるでしょうが、それでどこまで追求できるのか。そのあたりの難しさは、今回の相撲界の調査結果に見る通り。結局のところは見る側の印象に委ねられることになるでしょう。競馬の場合も同じです。現状では、見る側の判断にすべて委ねられている。
ここでよく話題になるのが、その判断をくだしている担当者が騎手の経験を持っていない、という点。前回、前々回と、我々を含めた“一般ファンのチェック機能”について触れましたが、裁決そのものも含めて、それが正確に働かないのではないか、という懸念です。しかし、相撲で言えば審判はみな、元関取の親方衆。経験者だからといって、きちんとチェックできていたかどうかは甚だ疑わしい…じゃなくて、チェックできていなかったわけでしょう。むしろ経験者だったからこそ、当事者の機微がわかり過ぎて、その結果、判断が甘くなってしまった可能性も否定できません。となると、競技の経験の有無、というのは裁決の資質としてどの程度重要なことになるのか…。
競技経験のない、例えば我々の判断基準はというと、その多くの部分を占めるのが実際に目で見たレースのあり型、決まり型。JRAだけでも年間3千を超えるレースをライヴ或いは映像で見て、地方競馬も同じように膨大なレース数を見て、時に海外のレース映像までも見ます。ファンの皆さんにも、同じくらいに見ている方がいらっしゃるでしょう。その何千というレースを見ていて、「おやっ?」と思える映像があるわけです。それがゴール前の“決まり型の映像”だとしたら、それはやっぱり「通常とは違う」と判断せざるを得ない。そして、その動きを見せた馬が馬券の対象になっていて、フィニッシュで着順が変わるようなことになっては、馬券を買っている側からすれば激怒モノなわけです。それが“無気力”に見えたりしたら、それはとんでもないこと、と。
前回触れたJRAの審判部との勉強会で、興味深い話題のひとつだったのが、「事象がゴールに近ければ近いほど審議の対象として重い案件になる」という概念の存在でした。これは実際に昨年秋以降の、我が国での傾向になっているように感じます。ジャパンCと朝日杯FSを比べるとイメージしやすいでしょうか。
これらの流れで、年明けの小倉で制裁を受けたのが田辺騎手と黛騎手だったと理解していました。断っておきますが、彼らが“無気力”だったということではありません。ゴール寸前で追う動作を“怠ったように映った姿”について、ファンに誤解されては困る、ということじゃないでしょうか。いずれにしても長期的にみて、異質な映像に歯止めがかかることは結構なことです。そういった地道な積み重ねがファンの疑念を取り払い、レースの質も高めるのでしょうし。
ところが、です。この流れと正反対に感じられたのが、幸騎手の騎乗停止でした。処分理由は端的に言って「十分ではないスペースに入れようとした」ことを「危険行為」と認定した、ということだったと思うのですが、このスペースを突けるか否かという一瞬の判断こそ、実は勝負における最大のポイント。その攻防における当事者同士の心理面も含めて、競馬の醍醐味と言える部分のはずなのですが、それを「危険な騎乗」と判断して禁止行為としてしまっては、せっかく“最後までの攻防”を明確に打ち出したかに思えた裁定基準の流れを、逆行させてしまうのではないか、と。
前回、幸騎手の件だけが理屈に合わない、と書いたのはこのため。もったいないことだと、正直、思いました。フェアプレーは大事ですが、その前に、騎手が純粋に持っているはずの“勝負師ならではの闘争心”を削ぎかねないのですから。そしてまた、“見る側の印象”の限界がこういうところで出るとしたら、裁決のあり方は根本から再検討されねばならないかも、とも…。
前回から続けてきた裁決の話。当然ながら、まだまだ課題が残されているということでしょうか。
オークス、ダービーが終わりました。オークスを制したエリンコートの後藤浩騎手が過怠金7万円の制裁を受け、ダービーでは4着に敗れたナカヤマナイトの柴田善騎手が戒告に。エリンコートから直線で被害を受けたスピードリッパー(5着)には結構な影響があったように映りましたし、ナカヤマナイトは直線だけでなく、4コーナー手前からオルフェーヴルと激しいバトルを繰り広げていたようにも見えました。そのことで、“見る側の印象”はどうだったでしょうか。後味の良い悪いは勿論、あります。ただ、やっぱりレースにおける駆け引き、攻防は、ないよりもあった方が断然、面白く感じられるのでは?何しろ、基本的に“勝負”なんですから。
そんなわけで、この話。相撲はもとより他のスポーツでも当然、共有できる興味深いネタ。また別に取り上げさせていただきたいと思います。
美浦編集局 和田章郎