『ファンの目線』
3月26日の深夜から翌未明にかけて、眠らずに日本馬を応援し、メインレースのあとは興奮でやはり眠れなかったというひとは多いのではないだろうか。ヴィクトワールピサがドバイワールドカップを制覇、2着もトランセンドと、ついにかなった夢のような決着だった。トゥザヴィクトリーが2着に粘ったのが2001年だから、あれから10年、こんな日が来るなんて。
しかし、いつまでも夢の余韻に浸っているわけにもいかない。東北関東大震災の爪痕はまだ生々しく、福島第一原発の問題も終息の兆しを見せない。競馬も片肺飛行が続いていて、皐月賞は4月24日に延期の上、東京競馬場に場所を移して行われる予定なのは周知の通り。
実は皐月賞というのはクラシックのなかで最も延期や施行場変更の多いレースだ。中山に固定された昭和24年以降は…
●昭和31年 馬場改修工事のため東京に移動(勝ち馬ヘキラク)。 ●昭和38年 ストのため5月12日に延期、東京に移動(勝ち馬メイズイ)。 ●昭和39年 スタンド改築工事のため東京に移動(勝ち馬シンザン)。 ●昭和42年 ストのため4月30日に延期(勝ち馬リュウヅキ)。この年は桜花賞も4月30日に、オークスも5月13日に延期され、それぞれシーエース、ヤマピットが勝った。ダービーはその後に控えた東京競馬場のスタンド改築のため例年より早い5月14日に行われた(勝ち馬アサデンコウ)が、これは当初の予定通り。翌43年は東京のスタンド完成を待ちオークスが6月30日(勝ち馬ルピナス)、ダービーは7月7日に行われた(勝ち馬タニノハローモア)。 ●昭和47年 前年暮れからの馬インフルエンザによって年明けの1、2回東京が中止となり、その影響で5月28日に延期(勝ち馬ランドプリンス)。この年は関西では通常通り競馬が行われたが、桜花賞は5月21日(勝ち馬アチーブスター)、オークスは7月2日(勝ち馬タケフブキ)、ダービーは7月9日(勝ち馬ロングエース)とクラシックすべてが延期された。 ●昭和49年 ストのためNHK杯と同じ5月3日に延期し東京に移動(勝ち馬キタノカチドキ)。 ●昭和51年 ストのため4月25日に順延、東京に移動(勝ち馬トウショウボーイ)。 ●昭和63年 スタンド改築のため東京に移動(勝ち馬ヤエノムテキ)。 …と、最近の感覚では考えられないくらい、頻繁に延期・移動があった。このほか春の3歳クラシックに関していえば、平成3年桜花賞がスタンド改築のため京都に(勝ち馬シスタートウショウ)、阪神淡路大震災の平成7年の桜花賞がやはり京都で行われている(勝ち馬ワンダーパヒューム)。
なぜ皐月賞の移動が多いのかというと、時期的に春闘と重なることが最大の理由で、次に中山の皐月賞より東京のダービーの方が重要であるということで、いずれも原因は競馬界の内部的なものだった。不可抗力的な例外は昭和47年の馬インフルエンザだけといってもいいだろう。今回はそれ以来、競馬界にとっては39年ぶりに訪れた大きな試練となる。
しかし、日本の競馬にとって、いわゆる近代競馬の体裁がとられてからの最大の試練はいうまでもなく第二次世界大戦で、昭和19年に始まった米軍の日本本土への空襲は20年には頻繁になり、3月には東京と大阪に対して特に大きな空襲があった。競馬どころではない。当然、すべてのクラシック競走に空白ができた。その空白は占領下の翌21年も続き、同年秋のオークスが戦後最初のクラシックとなる(11月24日、勝ち馬ミツマサ、春に行われるようになったのは昭和27年から)。一方、イギリスでは戦時下の1940〜1945年まで、ロンドンの南30キロのエプソムからロンドンの北100キロのニューマーケットに移していわゆる疎開ダービーが行われ、フランスでもダービーにあたるジョッキークラブ賞が本来のシャンティイ競馬場を離れ、オートゥイユ、ロンシャン、ル・トランブレーの各競馬場を巡っている。それでも、ドイツの空襲に悩むイギリス、ドイツの占領下にあったフランスにおいても、途切れることなく「ダービー」の歴史はつながれたわけだ。しかし、1945年のドイツダービーは行われなかった。これも当然といえば当然だが、逆の見方をすれば、戦いに勝つ国はダービーを粛々と行い続けたということもできる。大雑把ないい方をすれば、それだけの国力、底力があったということではあるだろう。
正直なところ今回の震災に対して、関西に、滋賀県にあってリアリティをもって伝わることといえば、被災した縁者や知己の消息を別にすると、スーパーで乾電池やミネラルウォーター、メジャーな銘柄のカップめんが品薄になっていることくらい。しかし、地震、津波、原発事故、そして今後避けられない電力不足と続く流れは、目に見えない敵との戦争と考えるべきで、これからも戦いは長く続くだろう。今、何事もないかのように行われている西日本の競馬も戦時下の競馬と見なければいけないのかもしれない。場所や日時を移してでも皐月賞を行うこと、そして、何が何でもダービーを行うことが、私たち日本人が目に見えない敵に打ち勝つ一里塚となるのではないだろうか。
29日にJRAから発表された「東北関東大震災被災地支援競馬」の義援金などの総額はJRA、馬主、調教師、騎手、ファンを合わせて12億円を超えている。まだまだこの額は増やせるだろう。競馬にできること、競馬の力は決して小さくない。
栗東編集局 水野隆弘