『最古の週刊誌より』
▼ヒカルイマイ3冠ならず さて、ずっと事務所の中にいるので、保存用の週刊誌の整理といった雑用もやっています。年齢と共にだんだん面倒になってきて、最近は山積み状態ですが、意を決してやり始めるとこれが結構面白く、整理そっちのけで読みふけってしまったり、社内の諸先輩方の“若かりし姿”に腹を抱えて笑ってしまったり……。
で、自身最初となる今回は、美浦編集部にある最古の週刊誌を引っ張り出してみました。昭和46年7月10.11日号です。現在のものよりも身長が低く(タテ置きカラーボックに収まる)全72ページ。そして、北海道版。いまの週刊誌(A4サイズで200ページ前後の全国統一版)と比較すると、まさに隔世の感がありますね。
見てみると、まず値段が150円……安いです。そして、表紙に躍る特集のタイトルが「ヒカルイマイ3冠への道は険し」。この当時の場外の混雑振りを映像で目にした記憶がありますが(自分も映像でしか知らない)、それはもう民族大移動的な光景。馬券を買えずに、というより場外売り場にすら入れぬまま締め切りを迎えるファンも多数出るという空前の競馬ブームだったようです。そんな中、皐月賞とダービーを勝ち取ったヒカルイマイが、果たしてセントライト、シンザンに続く史上3頭目の3冠馬に輝くのか?血統不詳のサラ系で農家兼業の小さな牧場で生まれ育った生い立ちと共に、人々の注目を集めていたのです。しかし、ヒカルイマイは屈腱炎を発症して菊花賞を断念。4ページにわたる特集記事は、「道は険し」と題しながらもその険しい道を歩むヒカルイマイにエールを送る形で締め括られていますが、残念ながら再起は叶わず、ヒカルイマイはそのまま引退を余儀なくされました。
一方、検討のトップは函館の巴賞。東京ダ2100mのレコードホルダーだったことで知られているゴールドライジンが有力だったようですが、いまとは違ってかなりコンパクトな能力表。予想欄もないために人気がよくわかりません(笑)。ちなみに翌週の週刊誌を見ると、結果は1着グランドプロス、2着ゴールドライジン、3着タマミとなってました。
また、驚いたのは馬主さんへのインタビュー「オーナーサロン」がこの当時からタイトルもそのままに乗っていること(写真下)。自社の週刊誌ながらこんな長寿記事であるとも知らず恥ずかしい限り。※聞き手はまだ芦谷さんではなかったものと思われます。
さて、最古の週刊誌、いかかだったでしょうか?この他にも、こちらの整理作業を妨げてくれる資料と読物が満載……なんですが、勿論もう売ってはいません。ごめんなさい。
美浦編集局 宇土秀顕