公正ありき
先日、見事な騎乗ぶりでエリザベス女王杯を制した英国のライアン・ムーア騎手に負担重量に関する不正疑惑が持ち上がった。レース終了後に助手が上腹帯を外し、騎手がそれを持たないまま検量を済ませていた事実が発覚したのである。同騎手はレース前の検量では上腹帯を含めた装具一式を計量しており、レース後の検量でも同一のものを計量しなければならないJRAの規定に対する明らかな違反行為にあたる。民放テレビで観戦していた職員から指摘があってJRAが実態調査を開始したのは女王杯の確定後といささか遅きに失した対応となり、最終的に同騎手は厳重注意処分で済んだ。この件についてはレースから3日後の17日にJRAから発表された文書(こちらで要約したもの)をここで紹介する。
◇JRA裁決委員は女王杯の表彰式終了後に調教師、助手に事情聴取。結果は下記の通り。
・英国では上腹帯を外して後検量を受けても必ずしも制裁対象にならない(後検量で所定重量を下回らなければ制裁にならない)。 ・JRAの規定に対する意識が薄く、上腹帯を外したのは助手の判断。ごまかそうとの意図なし。 ・入線後に馬が息苦しがっていたため外したもので、英国ではよくやること。
◇ムーア騎手からの事情聴取では、上腹帯を助手が外したこと、後検量の際にないことに気付かなかったこと、英国では軽い装具は後検量前に外すことがあること、自分も不注意であったとの反省が聞かれた。 ◇以上を踏まえ、JRAは注意不足が原因であり、負担重量をごまかす等の不正目的ではないこと。また前検量は上腹帯を含めて計量し、競走でも装着したこと。上腹帯の重量が約100グラムであることから、後検量で計量したとしても失格等、競走結果に重大な影響を与えることはなかったと判断。裁決委員は3者に対して厳重注意として「日本におけるルールを理解した上で遵守するよう」強く指導を行うとともに、今後は「外国馬の陣営、外国人騎手にルールを徹底するとともに、JRA職員が前検量と後検量の装具のチェックを徹底して再発防止に努めたい」との考えを示した。
私が現場記者だった頃、限界を超えた激しい減量で目が窪み頬がこけて別人の風貌になりながらもレースでは死力を尽くした人間、極限の飢餓感を満たそうと一旦食事を摂るや否やトイレに駆け込んですべて吐き出し「胃液が出たぶん食べる前より数グラム軽くなったかな」と独り言を呟くような人間を幾度も目にしてきた。過酷といえば過酷だが、騎手としての立場を考えるとルールを遵守するのは当然であり、負担重量を守って騎乗するのは騎手としての義務でもある。女王杯の翌日からは交流のある競馬関係者やJRA所属騎手と今回の件について意見交換することが多かったが、JRAの裁定にはこぞって批判的だった。「事実関係を冷静に考えると最低でも騎乗停止処分にすべき」「外国人騎手だけ特例扱いする姿勢は納得できない」といった声が続き、なかには「来日前から54キロで乗れるか不安視する声があったと聞く。そのあたりを考えると確信犯ではないのか」との厳しい意見まで寄せられた。
今回の件を振り返ってまず思うのは現行の検量システムがきちんと機能していたのかどうかという疑問。競馬中継をしている民放のテレビ画面を見ていた職員から指摘があったとのことだが、もし中継カメラが引き上げてくる勝ち馬の姿を捉えていなかった場合はどうなっていたのか。そして、テレビ中継のない他のレースにおいてルールは守られていたのか。いろいろ考えてみると、本来なら専属担当者が厳正にチェックしているはずの前検量、後検量が有名無実になっているのではないかとの危惧さえ生じる。また、これが日本の騎手だったとしたらおそらく失格(優勝は取り消し、騎手は厳重なペナルティー)となっていたはずであり、JRAの最終的な裁定についても疑問が残る。海外遠征の際に現地のルールを徹底的に調べるのは当然の義務であり、たとえ初めての慣れぬ環境であったにせよ違法行為者は厳しく罰せられるべきもの。ムーア騎手は今回が6度目の来日で騎乗総数も当時で20回を超えていた。そんな人物に対し“英国での事情”や“JRAの規定に対する意識の薄さ”を考慮して裁定を下す必要があったのかどうか。
負担重量を守るための検量システムといえば公正競馬の根幹をなすものであり、ルール遵守を指導すべき立場の裁決委員が今回のような場当たり的と解釈されて仕方ない裁定を下したのは感心しない。国際レースを盛り上げるためには多くの外国馬(外国人騎手も含めた)の参加が望ましいのは理解できるが、JRAとしては、“興行ありき”ではなく、“公正ありき”の原点に戻って欲しいものである。
競馬ブック編集局員 村上和巳