偉業達成へ リーチ!
デビューしたのは昨年秋の阪神芝1600メートル戦。15頭立て6番人気とそう注目度が高かった訳ではなく、レースでは2番手追走から直線で失速してトーセンファントムの8着。ほろ苦いスタートとなった。追うと頭が高くなるのは調教時から見せる仕草だったが、このレースでは外へ逃げる面も見せていた。初経験のレースだったため馬自身に戸惑いや動揺があったのだろう。青鹿毛で皮膚が薄く映る割りにはそう目立たず、476キロの馬体には幾分余裕も感じられた。全体に若さが目立ったこともあり、この厩舎らしくじっくりレースを使いながら長期的な視野の下で個々の課題をクリアしていこうと考えたと推察される。
頭が高くなって伸び切れない点を矯正する目的で2戦目の追い切りの段階からシャドーロールを着用。実戦では好スタートからハナを切ったが、行きすぎずに外側に馬を置く形での逃げ。ゴールで3/4馬身交わされはしたが、最後まで勝ち馬に食い下がって2着を確保。初戦と比べてそれなりに進境を示した。このレースを含めて未勝利で3戦連続して2着を繰り返した後、ソエを気にしたために放牧に出された。ここまでの蹄跡を振り返るとこの馬が翌年にクラシックレースを勝つ場面は想像できないが、無理強いは一切せず、あくまで馬本位にその成長を待つ姿勢が見事に結実したということなのだろう。
復帰したのは5ヶ月後の春後半の阪神戦。前走から10キロ減、デビュー時から20キロ減の馬体は幾らか細く映ったが、もともと筋肉隆々といった逞しいタイプではない。このレースでは好位追走から一旦は先頭に立ったものの、最後は1/2馬身差されて2着。デビュー時よりはマシだったが、頭が高くなるのは相変わらず。それでも先行して粘るだけのレースから脱皮しつつある点は評価できた。放牧に出したことでソエが治まり、精神的にゆとりが出てきていたのも大きかったのだろう。更に10キロ減った次走はギリギリの体に映ったが、2番手から抜け出して待望の初勝利。デビューから数えて6戦目のことだった。
阪神で未勝利を勝った後は夏の小倉で500万、1000万特別を連勝。小回りコースが脚質に合ったのも確かだが、追い切りでステッキを入れると尻尾を振ったり、レースでは直線で抜け出すと気を抜いてフラフラしたりする若さを見せてのもの。まだ本気で集中して走っていないのは明らかだったが、競走馬の精神面の課題については矯正できるものとそうでないものとがある。厩舎スタッフや騎手が教え込むことにも限界はあるのだから、やるだけやった後は長所を伸ばして適性を生かすことに重きを置くことになる。アグネスフローラ(1990年、桜花賞)、ファビラスラフイン(1996年、秋華賞)、アグネスフライト(2000年、ダービー)、アグネスタキオン(2001年、皐月賞)、ファイングレイン(2008年、高松宮記念)、リトルアマポーラ(2008年、エリザベス女王杯)といった馬たちもこの厩舎スタッフによって大事に育てられた。
格上挑戦の神戸新聞杯は3番手追走から直線内をついて先頭に立ったが、ダービー1、2着馬に瞬時に交わされて3着。格の違いを見せつけられた。しかし、この敗戦が菊本番で生きてくる。正攻法の力勝負では分が悪いと考えた騎手はロングスパートを仕掛けた。3角の下りで動いて早目先頭から後続を封じ込める戦法は流れと仕掛けのタイミングが合致すれば結果を出せるが、後続に読み切られると格好の餌食になる諸刃の剣でもある。人気薄だからこそできたとの声も出そうだが、川田将雅騎手で浮かぶのはキャプテントゥーレで逃げ切った2008年の皐月賞。誰も行く構えを見せないのを確認すると仕掛けてハナに立ち、まんまと逃げ切ったレースぶりもそうだったが、彼の特長はリスクを承知で攻める競馬、勝ちに行く競馬をすること。以前にも書いたが、騎手たちには結果を恐れずに思い切りのいいレースを見せてもらいたい。
「周囲から達成おめでとうと声をかけられるが、それぞれ個性も違えば時代も違うから三冠と言われても実感はない。ただ、頑張ってくれたビッグウィークと乗り役さん、スタッフには感謝している」
月曜日に長浜博之調教師に電話を入れたところ飾らないこの人らしいコメントが返ってきた。私が彼と知り合ったのは1979年のオークス直前。実父彦三郎さんが管理するアグネスレディー(1番人気1着)の取材に援軍として出向いたときに対応してくれたのが当時調教助手だった博之さん。私より5歳上だが、きさくで明るい人柄にして仕事に対してはどこまでも真剣でひたむき。これまでに取材上で幾度となく助けてもいただいている。1988年に開業してから積み重ねてきたG1レースの勝利が7回。牝馬でも桜花賞と秋華賞を制している実力派トレーナーであり、お父さん同様にオークスを勝てば管理馬で牡、牝ともに三冠達成という素晴らしい記録が誕生する。残るあと6年の間に偉業達成の瞬間を是非目撃したい。
競馬ブック編集局員 村上和巳