様々な視点
週刊競馬ブック9月13日発行号の一筆啓上でスポーツライターの阿部珠樹さんが紹介していたアンケート結果はなかなか興味深いものだった。日本野球機構が2010年に現役の監督、コーチ、選手全員にプロ野球創設以来の“最高の試合”と“名勝負、名場面”を答えてもらったもので、最高の試合の第1位は1994年10月8日の中日対巨人戦で、勝ったチームが優勝するという史上初のペナントレース最終決戦。まさに歴史的な1戦だった。第2位は2001年9月26日の近鉄対オリックス戦、第3位は2006年のパリーグプレーオフ第2ステージ第2戦の日本ハム対ソフトバンク戦となっている。ちなみに“名場面、名勝負”の第1位は昨年のパリーグクライマックスシリーズ日本ハム対楽天戦の第1戦(スレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打が出たゲーム)が選ばれている。阿部氏も書かれていたが、第1位の中日対巨人戦はともかくとして、全体に“渋すぎるセレクト”と思えるあたりは同時代を生きてきた“現役の視点”であり、個人よりも組織としての戦いに重きが置かれている点が印象的でもあった。これが一般ファンが対象のアンケートならば超人的なプレーや感動的な場面が上位にランクインして、まったく違った結果が出ていたことだろう。
私がプロ野球の“名勝負、名場面”を選ぶなら次の3試合を挙げる。まずは1971年7月17日に西宮球場で行われたオールスターゲーム第1戦、次に1973年8月30日に甲子園球場で行われた阪神対中日戦、最後が1979年11月4日に大阪球場で行われた日本シリーズ第7戦の近鉄対広島戦だ。オールドファンならお気づきと思うが、この3試合で主役を務めたのはすべて江夏豊投手である。オールスター史に残る夢の9連続奪三振、延長11回まで中日をノーヒットノーランに封じ込めて自らのサヨナラホームランで締めく括ったワンマンショー、そして最後は伝説にもなっている“江夏の21球”(Wikipediaに詳細と全21球の解説あり)で、30年以上が経過したいまも名場面として私の脳裏に焼きついている。江夏豊の一挙手一投足によって無条件でゲームに引きずり込まれたことが過去に幾度あったことか。日本シリーズ9連覇を果たす王者巨人に対峙し続け“反骨の左腕”として活躍。その言動から“傲岸不遜”とも批判されたが、組織に翻弄され肘痛や心臓病と戦いながらもプロフェッショナルとしての矜持を守り通す姿にはいつも熱中した。
上記の9連続奪三振やノーヒットノーラン&サヨナラホームランは極限の個人的パフォーマンスだが、日本シリーズでの“江夏の21球”は表面的な考察ではごく地味な1イニングでしかなかった。自らが招いた無死満塁のピンチを渾身の投球術で凌いだ結果でしかなかったのだ。実際、当時の私も「3人で抑えればいいのに、余計な苦労をして」といった程度の感想しか抱かなかった。この場面が脚光を浴びたのはあるノンフィクション作家がスポーツ雑誌で取り上げたことにほかならない。1球、1球をビデオで検証しながら事実関係や瞬間、瞬間の心理などを長時間にわたって本人に直接取材して誕生したのが“江夏の21球”である。取材される側にすれば他人に土足で心の中に入り込んでこられる不快感があったはずだが、取材者の熱意と真摯な態度がその気持ちをほぐしたと言われており、極限に追い込まれたプレイヤーの内面に肉薄したからこそ競技の本質や奥深さに迫ることができたのではないか。雑誌の記事を読んだ私は放送関係の知人に依頼してこのゲームのVTRを入手し、画面で1球、1球を確かめながら文章と照らし合わせる作業を繰り返した。結果として個々の場面を異なった視点で捉えられたことでより深くゲームを堪能できた。
その後、私は競馬の分野でもプレイヤーの内面に迫る原稿が書けないかとずっと考えてきた。日常的な騎手たちとの会話だけでなく、レース後のインタビューにおいても結果だけを問うのではなく、騎手としての心理やプレー中の葛藤に至るまでを引き出そうと心掛けてきた。内勤に転属となってこのコラムを担当するようになってからも、レースの裏に隠されたプレイヤー心理や馬に携わる人間たちの喜怒哀楽を取り上げて競馬の醍醐味や奥行きを紹介しようと努めてきたが、なかなか思うような文章を書けずにいる自分が歯がゆい。“江夏の21球”は野球という人気スポーツが対象であり、取り上げるメディアの裾野の広さが生み出したものとも言えるが、競馬においても人々の心を打つようなシーンは日々展開されている。そういったものに着目して競走馬独特の個性や周囲の人間模様を取り上げる視点も取材する側としては当然必要であり、人気が停滞しているこの時代こそ競馬マスコミの存在意義が問われているとも言えるのではないか。
競馬ブック編集局員 村上和巳