猛暑対策
“言うまいと思えど今日の暑さかな”そんな句を浮かべながら過ごす夏。ここまで猛暑が続くと日々の通勤だけでもかなりの汗をかいて消耗する。こんな状態で家に帰りつくと、しばらく自重していた缶ビールに手が伸びる。そこで水分を摂るとまた汗をかき、そうすると喉が渇いて再び缶ビール。もう悪循環だ。地球温暖化とともに日本が亜熱帯化しているのは間違いなく、連日熱中症による死亡者が出ることさえ最近は驚かなくなっている。陽射しが強すぎて変色した野菜、高温から身を守るべく殻を硬くしている水稲などは売り物にならないし、海水温度の上昇で水揚げが減った魚類、バテて乳の出が悪くなった牛、食欲減退で肉付きが悪い豚といったように、自然界ではきりがないほど異常気象の影響がある。そんななかでサラブレッドは無事に競走生活を送れるのだろうか。
昔もいまもトレセンから競馬場までの移動には馬運車を使う。道路状況にもよるが、スムーズな場合は栗東から東京競馬場まで5、6時間、小倉だと9時間ほどかかる。長時間ずっと狭い車で揺られながら移動する馬にはストレスがたまる。現場記者だった頃は馬運車嫌いで乗車を拒否する馬を幾度か見かけた。体を硬くして一歩も動かなくなったり、乗り口の手前で転倒して外傷を負ったりする馬さえいた。無理強いするとそれがトラウマとなり、その後は馬運車を見るだけで怯えたり激しくイレ込んだりするケースも少なくない。それだけに関係者には性急に走らず馬の精神面を考慮した気長な対応が求められる。以前は馬運車で輸送するだけで馬体が減ったりバテたりする馬が多かったようだが、最近は車内設備が充実。夏はエアコンを使用するようになっているが、当然のことだろう。
トレセンの馬房も暑さ対策として様々な工夫が凝らされている。私が取材を始めた三十数年前は扇風機使用が一般的で、上級条件馬だけ馬房の前に大きな氷柱が置かれたりしていた。当時は真夏でも関西地区で35度を超えるなんてことはまずなく、これで十分だった。しかし、異常気象が続く昨今、それだけで暑さを乗り切るのは難しい。一部ではエアコンを使用している厩舎もあるが、これについては賛否両論ある。私自身もエアコンは苦手で、今年の夏も夜は部屋中の窓を開放して冷房を使わずに寝ている。ここ2週間ほどは異常なほど寝苦しかったが、寝起きに頭痛に襲われたり倦怠感に支配されるよりはまだマシと考えて猛暑と戦い続けている。こうなるともうサバイバルゲームに近いが、これは状況判断ができて生活スタイルを選択できる人間だからこそ耐えられるもの。体調の良否をなにひとつ主張できない幼児のような存在の馬たちにしてみれば夏の暑さは激しい苦痛でしかない。
ご存じの方も多いと思うが、最近よく厩舎で見かけるものに“ミスト”(細霧、霧散布)がある。水が蒸発する際に気化熱を吸収する性質を利用して冷房対策として導入されているものだ。馬房の天井に設置したノズルから定期的に冷たいミストが噴出することで周辺温度を2、3度下げるだけでなく、塵や埃をしずめる効果もあるという。天井から降ってきたミストは地面につく前に消えるよう設定してあるため必要以上に湿気が残る心配もないというから、それなりに有効とは思える。ただ、馬房に工夫を凝らしたり、トレーニング時間を涼しい早朝にしたとしても、レースが行われるのは土日の暑い時間帯。暑さだけは避けようがなく、新潟、小倉あたりの直射日光を浴びる場所では40度超えが確実。大半が寒冷地で生まれ育ったサラブレッドにとっては限界を超えた気象条件といえる。
炎天下の甲子園球場では第92回全国高校野球選手権大会が行われている。我々が高校生の頃は“心頭を滅却すれば火もまた凉し”などと精神論ばかりを叩き込まれ、運動中に水を飲むのも厳禁だった。いまの時代にそんな指導者はいないと思うが、このまま異常気象が続くようなら、近い将来高校野球をナイトゲームにするか、もしくは温度調整が可能なドーム球場使用に改めるべきではないか。犠牲者が出てから慌てて対策を練るのでは遅すぎる。同様に夏競馬の開催日程や開催地についても再検討すべき時期を迎えている。あくまで馬が元気でいてこそ成立するのが競馬なのだから。
競馬ブック編集局員 村上和巳