環境の与える影響
6月7日、月曜日。午後から久しぶりに遠出した。車で外環状線に出てそれを南下し、六地蔵に着くとそこから東に向かって7号線に入る。久しぶりのドライブである。この7号線はJR線、京阪電車と並行して走っており、大半が1車線で渋滞するケースも少なくないが、この日は平日の午後だったためか比較的スムーズに流れていた。黄檗(おうばく)駅や京滋バイパスのインターチェンジを過ぎると道端の景色が住宅地から田園風景へと少しずつ変化していく。ついこの前までは新鮮に映った新緑が、いまやそれが周囲と一体化した深緑となって視界に広がる。こうなると程なく梅雨の時期がやってくる。そう考えていささか憂鬱な気分になりかけたところで三室戸駅に差しかかる。この近くには白、青、黄色、紫と色艶やかな1万株もの花が咲き乱れることで知られる“紫陽花寺”・三室戸寺がある。梅雨に入ったあたりの時季がいちばん見頃だと知人が話してくれたのを思い出す。今年は一度覗いてみようかとも考えているが、実現するかどうかはわからない。
更に車を走らせると前方の視界に宇治川の清流が飛び込んでくる。このあたりは源氏物語ミュージアム、宇治上神社、興聖寺、平等院などがあって年中たくさんの観光客が訪れる場所だが、“今日は珍しく人の数が少ないな”─そんなことを考えながら車を走らせていると日本三大古橋のひとつ宇治橋に差しかかる。この橋の上から四方を見渡すと嘆息が漏れるほど綺麗な風景が広がる。京都に引っ越してもうすぐ3年半になるが、夜の木屋町界隈には足を向けても、寺社仏閣巡りなどとは無縁の生活を送っている。しかし、平安時代の面影を残すこの場所を知ってからは近辺を通るのが楽しみのひとつになっている。気分転換をするには格好の場所で橋を渡り切ると宇治市の中心街に入る。ゆるやかな勾配のある街並みには高層ビルもなければ猥雑な繁華街も見当たらない。ひっそりと落ち着いた独特の雰囲気もまた好ましく映る。京都競馬場までそれほど遠くない地の利もあり、人生の晩年を過ごすのにはいいかなと勝手に思いを巡らせているが、果たしてどうなることか。
この日、最終的には宇治田原のある商品を扱う専門店に久々に顔を出した。自宅から最短距離の裏道を突っ走っても車で1時間弱ほどかかる場所だが、この辺にやってくるといつも自然な形でリラックスできるから不思議だ。競馬ファンならご存知の宇治田原優駿ステーブルも近くにあって、緑に囲まれた静かな環境での森林浴が日常の疲労を癒してくれるのかも知れない。そう考えると、私にとって宇治近郊は競走馬をリフレッシュ放牧に出す外厩と同様の場所なのかなとも思う。都会文化に触発されない地域では生きて行けないと思い込んでいた少年の頃。刺戟がないことには間が持たないと週末の競馬開催日を待ちわびていた現場記者時代。そんな頃と比べるとまさに隔世の感さえあるが、それだけ年齢を重ねてきたということなのだろう。
上半期はまだ宝塚記念が残っているが、ここまでの競馬シーンを振り返ると関東馬の活躍が目立つ。高松宮記念、桜花賞、春の天皇賞、オークス、安田記念とG1を5勝しており、この数字は今年行われた平地G1競走の半数にあたり、近年では記憶にないほど東風が吹き荒れた。全体を通してG1にしては小粒な印象を拭えないレースが多かったことに加え、まだ折り返し地点が見えた段階で“関東馬復権!”とまで安易には言えないが、少なくとも関東馬に活気が出てきたのは喜ばしい限り。最近は早目に栗東入りして仕上げる関東馬の数が増えており、それを関西の競馬マスコミは“栗東留学”とよく表現するが、春にやってきた美浦の関係者に「仕上げのノウハウを関西から学ぼうとは思っていない。あくまで栗東の施設を活用するのが目的。正確には“栗東留学”ではなく“栗東滞在”と書くべきではないか」と言われた。長く続く西高東低の図式に慣れすぎたことでマスコミも少々無神経になっているのかも知れない。それと同時に関東のホースマンのプライドが伝わってもきた。坂路コースの形状の差や持ち乗り制度の扱いの違いなど、馬に対する環境にはまだまだ差があるのが現実だが、そういったものを乗り越えて結果を出しつつあるのは立派の一語。東西対抗の図式で成り立っている日本の競馬は双方の力関係が拮抗してこそ盛り上がるもの。今後も関東馬の活躍に期待したい。
競馬ブック編集局員 村上和巳