1971年、ニホンピロムーテー&福永洋一。3角手前から進出して押し切った常識破りのレース。騎手の手腕が光った。どの馬の馬券を買ったか定かではないが、大穴を狙って玉砕したはず。
1973年、タケホープ&武邦彦。国民的人気を誇るハイセイコーと叩き合った伝説のレース。名人の手綱さばきに痺れた。単勝9倍は好配当だったが、ハイセイコーを軽視。連複は見事に外れた。
1976年、グリーングラス&安田富男。これも伝説のTTG対決のひとつ。血統だけで飛びついて単勝を獲ったものの、ゴール前はテンポイントを応援していた。この世代は飛びぬけて強かった。
1981年、ミナガワマンナ&菅原泰夫。ひいきのシンザン産駒に熱中。単勝を狙い撃ちした。我がペーパーの短距離馬ロングイーグルも驚異的な頑張りを見せたが、3着で一銭の賞金も入らず。
1982年、ホリスキー&菅原泰夫。ハギノカムイオーらが飛ばすハイペースで展開が向いたにせよ、強い競馬でレコード勝ち。その迫力に圧倒された。馬券は好馬体ハシローディーと心中。完敗。
1983年、ミスターシービー&吉永正人。三冠馬が出る年は世代レベルが高くないと感じた最初の年。ヤンチャなシービーを敵に回して連戦連敗。西のステイヤー・シンブラウンで勝負して3着敗退。
1984年、シンボリルドルフ&岡部幸雄。完全無欠のルドルフに挑戦状を叩きつけたが、V9時代の無敵の巨人に弱小阪神が挑むようなもの。馬券はあまりに悲惨な結果となったので非公開。
1985年、ミホシンザン&柴田政人。骨折してダービーを棒に振ったシンザン産駒が勝つと信じつつ、気配が不満で迷った。最終的にはミホシンザン→スダホークの1点。ゲットしたが、安かった。
1988年、スーパークリーク&武豊。数週間前から本命はこれと決めていた。脚元の弱い馬だったが、滑り込みでの出走で2着を5馬身引き離す圧勝。武豊騎手がG1を初制覇した記念すべきレース。
1990年、メジロマックイーン&内田浩一。メジロ牧場が紡ぐステイヤー血脈。勝つのはこの馬と決めていたが、個人的に可愛がっていた岡潤一郎騎手のユートジョージも応援。馬券はなぜか見送った。
1992年、ライスシャワー&的場均。キョウエイボーガンの玉砕的な逃げがいまも鮮明。血統、気性、走りから2冠馬ミホノブルボンに本命は打たず。それでもゴール前ではブルボンを叱咤激励。
1993年、ビワハヤヒデ&岡部幸雄。春の2冠はナリタタイシンとウイニングチケット。最終章こそビワに勝って欲しかった。そして、できればその背に岸滋彦がいて欲しかった。
1994年、ナリタブライアン&南井克巳。記者席で“もういい、追わなくていい”と呟いたゴール前。最強馬がベストパフォーマンスを示したレース。これといった産駒を残さず急逝したのが残念。
1999年、ナリタトップロード&渡辺薫彦。25年の現場記者時代に担当厩舎の馬が菊花賞を勝ったのは3度。いちばん思い入れが強いのはこの年。デビューから見守ってきた人馬の勝利に言葉が出なかった。
JRAの競走番組がジャパンC中心に改定され、菊花賞もそれに合わせて時期を早めて施行されることになったのが2000年。京都新聞杯も春に移動したため、結果として夏後半から急成長する上り馬がチャンスを掴む機会が減った。生産界でステイヤーに対する需要が減っている時代背景もあって近年の菊花賞がいまひとつ盛り上がらないのは寂しいが、個人的にはいまでも大好きなレースのひとつ。ダービー馬ロジユニヴァースは不在だが、長丁場ならではの駆け引きを存分に楽しめるいいレースを見せて欲しい。
競馬ブック編集局員 村上和巳