・ウォーゲーム ・エーシンダードマン ・トウカイエリート ・ビービーファルコン ・フローテーション ・ベンチャーナイン ・モンテクリスエス
・キタサンガイセン ・ダノンカモン ・ハイローラー ・ベストメンバー ・リーチザクラウン ・リクエストソング
夕方5時すぎに家を出て地下鉄に乗る。座席に坐ってこれから起こるだろうことを想像すると弾むような気持ちと一種の緊張感とが交錯したなんとも不思議な心理になる。20分ほどで乗り換え駅に着き、そこから更に私鉄に乗って十数分。目的地の駅に辿り着くと予報通り小雨が降り始めたが、傘などさす気にはならない。待ち合わせ場所に決めた神社は夕闇に包まれて人影がないが、正面入り口にある外灯がその前に佇むひとりの男の姿をおぼろげに映し出している。見覚えのあるシルエットに気持ちが高揚して思わず名前を呼んで駆け寄る。振り向いた相手の肩を抱き、なにか喋ろうとするのにもどかしいほど言葉が出てこない。
「俺の方からアクションを起こすべきじゃないと思ってずっと連絡しなかった」
この7年ほどの間に何度か携帯に電話をかけたが、一度として出ることはなかった。メッセージを残しても反応は皆無だった。人づてに「心配してくれる気持ちは嬉しいけど、俺と接触することで迷惑をかけたくないから」との言葉を聞いた。しばらくは自虐、嫌悪、悔恨の日々が続いていただろうに、そんな過酷な時期でも相手を気遣うことを忘れなかった彼。誇り高き男の心情を理解した以上、私もそれを尊重するしかない。このまま会えないならそれはそれで仕方がないし、時間が区切りをつけるなら時の経過を待つしかない。そんな風に考えて半ば諦めて日々を過ごしていたが、年賀状のやりとりだけは毎年途切れずに続いていた。
「一度会って話をしましょう」
今年の年賀状に添えられたひと言で彼自身が気持ちの区切りをつけたことを知る。ならばすぐに連絡をとればいいのだが、今度は私自身が一歩を踏み出せなかった。動くに動けない私の様子を見るに見かねた知人が間に入る形で飲み会を提案してくれた。馴染みの数人と一緒なら自然な流れで我々が顔を合わせられるだろうとの配慮だった。その提案に感謝して一旦は宴会に参加すると決めたが、直前になって気持ちが変化した。久しぶりに会うのならばやはり二人だけで腰を据えて話をするべきではないのか。そう考えた瞬間、それまでの迷いが消えて電話を入れた。彼も同意したことで、この日二人で会うことになった。
「ネットのコラムで髪の真っ白な写真があったけど、実物はそうでもないね」
1978年にデビューしてからずっと交流はあったが、相手が人気騎手であるため周囲には常に人が群がる。順境にあっては一歩引いた立場で接し、逆境のときにはこちらから動く一定のスタンスを守ってきた。それが我々記者としての立場だと考えていたから。浮き沈みの激しいトッププレイヤー稼業とはいえ、彼ほど波乱万丈の人生を送った人間は他には思い浮かばない。出張先で一緒に飲み回ったり競馬観の違いから激論を交わしたり。いつも本音をぶつけ合って生きてきた我々は競馬サークルにおける戦友みたいな関係だったのかもしれない。一緒に飲むのは彼が現役だった時以来、つまり十数年ぶりになる。底抜けに明るい笑顔も自論を展開するときの独特の眼の輝きも若い頃とまるで変わらない。この1月で50歳になったとは思えないエネルギッシュな言動には圧倒されるが、それがまた心地よくもある。やはりこの男は実業家やプロデューサーとしてではなく生涯一プレイヤーとして、そしてパフォーマーとして生きるべき人間なのだろう。
「競馬サークルを離れると、それまで見えなかったものがいろいろ見えてくる」
酒席の後半に話題は当然のように競馬談義となった。トップジョッキーとして一時代を築いた人間らしく、現在の競馬の抱える問題点を独特の切り口で次々に分析。立場は変わっても競馬に対する想いの深さはなにひとつ変わっていなかった。酔いが回ってしまう前にひとつだけ確認したいことがあった。私と会うことを彼が心から望んでいたのかどうか。つまり、昔の付き合いでやむなく私の申し出を受けたのではなかったか聞きたかったのである。私がその話を切り出そうとした刹那、彼が意外な独白をはじめた。
「一年ほど前にさ、村上さんのところに“ならず者”ってペンネームの読者メールが届いたの覚えてる?内容は音楽ネタとテンポイントについて。あれ、俺が書いたんだ。こんな中途半端な形で連絡を取っちゃいけない、絶対いけないって自制したのに、泥酔して思わずメールを送ってた。勢いであんなことをやっちまって、しばらくは悔やんだ。でも型通りの返事がきたときはホッとした。気づかれずに済んだと思って」
この“ならず者メール”は克明に覚えていた。文章から伝わってくる馬の特性を見抜く才能の凄さに舌を巻いた記憶があったのだ。しかし、書き手が一般の方だと信じ切っている私にしてみれば、その相手が知り合いとはまるで考えもしなかった。泥酔してもなお本名を記さずにメールを送ってきた彼。その告白を聞いて私が問い掛けようとしていたことにあまり意味がないことに気付き、それからはただただ飲んで喋った。日付が変わる前まで飲んで次の再会を誓って別れた。いつどこで会うかといった具体的な約束はなにひとつしていないが、今度彼からメールがきたときには、たとえペンネームを変えても絶対に見抜いてやろうと思う。そして、その折には無理矢理でも誘い出して酒を飲み交わすつもりでいる。
競馬ブック編集局員 村上和巳