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「菊花賞に使うのが決まったから乗れるようにしておいて」とお手馬キョウエイボーガンの厩舎スタッフから声をかけられた松永幹夫騎手は承諾こそしたものの、その後は考え込んでいた。本来なら菊花賞のような大レースに騎乗依頼があるのは若手騎手として誇らしいことだが、この件に関しては手放しでは喜べなかった。ボーガンは神戸新聞杯を逃げ切って勝っている実力馬だが、スピードに任せて押し切るパターンでしか持ち味を生かせないタイプに属する。血統、気性から推すに3000メートルは明らかに長そうだ。おそらく陣営もそれは判っているはずだが、神戸新聞杯を勝った馬が菊花賞に使わないことなど考えられない時代。つまり、距離に限界があるマイラーでも無事である以上は玉砕覚悟で菊花賞に挑むのがごく自然な流れだった。
1992年の菊花賞の主役は皐月賞、ダービーを逃げ切った二冠馬ミホノブルボン。デビューから7戦7勝と負け知らずの怪物であり、この菊花賞には三冠が懸っていた。松永が気にしたのはボーガンとブルボンの双方が逃げてこそ力を出せる脚質だという点。つまり、レースにおいてこの2頭が両立するとはまず考えられなかったのだ。もちろん、レースである以上、出走馬すべてに勝利をめざす権利があり、そして、公正競馬を実践するならすべての馬がベストパフォーマンスを演じなくてはならない。そう考えればボーガンが菊花賞に挑むことになにひとつ問題はない。しかし、距離適性を考えると勝つ可能性が極めて低いと思わざるを得ない馬での参戦が三冠達成の障害にならないか。生真面目な性格の松永はその点を危惧していた。
ミホノブルボンの騎乗者は戸山為夫厩舎の主戦で松永より16歳上の小島貞博騎手。坂路での猛スパーリングで誕生した逞しい栗毛馬とのコンビでG1を勝ちまくるまでは、障害界でこそエース級の活躍をしていたものの平地競走では地味な存在でしかなかった。そんな彼が掴もうとしているのは無敗での三冠達成という限りなく大きな夢。マスコミは“新三冠馬誕生”と書き立てた。ブルボンがこの世代で傑出した能力の持ち主なのは衆目の一致するところであり、3歳春の段階で2400メートルを圧勝した実力を考えれば距離が600メートル延びる菊花賞でもその力関係は変わらないとする見方が大勢を支配していた。レースへ行くと気持ちがはやるブルボンをなだめ落ち着かせ、マイペースで先行することを根気強く教え込んだ小島。彼自身も十分な手応えを掴んでいたはずである。ただ、いつも通りの落ち着きがあってマイペースの競馬ができることが前提だった。
ゲートが開くとボーガンが矢のように飛び出した。長距離戦とは思えぬハイラップを刻んで2番手のブルボンを引き離す。みるみる間にその差は1秒(5馬身)ほど開いた。この大逃げは抑えの効かないボーガンの持ち味を引き出すだけでなく、大本命馬の前後に位置してこれと競り合うような邪魔だけはしたくないという乗り手の強い意思が感じられた。前半の1000メートルを59秒7(13.111.411.511.811.9)で飛ばしたボーガンは2周目の3コーナーで力尽き、最終的には2秒8差の16着に敗れた。3角すぎから先頭に立ったブルボンは大歓声を浴びながら直線を向いたが、直線でライスシャワーに交わされて0秒2差の2着。無敗での三冠達成は夢で終わった。しかし、ハイペースで先行して終始他馬に目標にされる厳しいレースになったにもかかわらず、ゴール前では猛追するマチカネタンホイザを頭差退けて2着を死守。その内容は敗れて尚強しを思わせた。
離して逃げればブルボンに迷惑をかけずに済むと考えた松永だったが、レース後のパトロールフィルムには予想外のシーンが映し出されていた。逃げるボーガンの姿を過剰に意識して頭を上げたりムキになってハミを噛んだりと、本来のリズムを見失っているブルボンの姿だった。もちろん、そういった前半のロスの影響は少なくなかったが、当時のブルボンは厳しい状況を克服するだけの精神力を持ち合わせていなかったということなのだろう。敗因はそれに尽きると思えるが、三冠達成がならなかった事実は松永の心を重苦しく支配した。
レースから2日後の火曜日、朝の調教中に松永と小島が坂路コースで顔を合わせた。馬上のふたりがすれ違う直前、言葉に詰まり硬い表情のまま黙って頭を下げようとする松永に対して、「おはよう、ミキオ」と小島の方から声をかけてきた。普段は寡黙で若手に自分から声をかけることがまずない彼にすれば珍しい行動であり、先輩騎手の短い言葉に込められた優しい気遣いが松永にはなにより嬉しかった。
*「ミホノブルボンは菊花賞でどんなレースをして敗れたのでしょうか」といった類のメールを複数いただいたので、今回は1992年の菊花賞を取り上げました。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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