・エアシェイディ ・カンパニー ・コンゴウリキシオー ・チョウサン ・ディアデラノビア ・マルカシェンク
・シンボリグラン ・スズカフェニックス ・フサイチリシャール ・ペールギュント ・ローブデコルテ ・ローレルゲレイロ
引っ越して丸一年。通勤にも慣れて座席に坐るとすぐに船を漕げるようになり、目的地に着くとしっかり目を覚ます。もう完全にベテラン通勤者だが、このベテランにも問題はある。いつまでたっても電車の時刻表が覚えられないのだ。通常の通勤日は水、木、金、土、日だが、曜日によって出社時間が違う。水、木は9時〜10時でOKだが、新聞作成日の金、土は8時。日曜日は関西圏の競馬が始まるまでに出社をと心掛けているが、単独開催になると気が緩んで11時出社なんてこともある。曜日によって時間が異なり平日と日祝日で電車の運行時間が違う。時刻表は定期入れの中だが、慌しい早朝に確認するような几帳面さは持ち合わせていない。時間を間違えて1時間に3本程度しか便がない草津線に乗り遅れ、ホームの端で延々と煙草を吸い続けたことがこの一年で幾度あったか。トホホ……である。学習能力皆無のこの性格は永遠に変わりそうにない。
先日、駅の階段を上っているとホームの和服姿も艶やかな妙齢の婦人に会釈された。“誰かな?”と考える間もなく一気に距離が縮まる。相手は更に「お久しぶり」と声さえかけてくる。戸惑いを隠しつつ曖昧に会釈を返すと、彼女は怪訝そうにこちらを一瞥した後、私の背後の女性に「お出掛けどすか?」と話しかける。赤面しながら“紛らわしい行動を取るなよ”と決して相手に聞こえない小声で呟いたが、知らない相手に訳も判らず会釈を返す方が余程紛らわしい。気まずさを払拭すべくホームの最先端へ移動すると彼女たちも同じ場所に向って歩いてくる。まずい、電車よ早く来いと祈っていると「新快速をお待ちの皆様、本日は雪のために電車が遅れてご迷惑を……」と絶望的な構内アナウンス。朝のスタートから躓いたこの日は出社後もトラブルの連続だった。幾つになっても女性の微笑みにはまるで弱い。懲りることのないこの性癖も生涯変わることはないだろう。
一年も同じ場所に住んでいれば行きつけの店ができるものだが、最近はオフに飲み歩く気力がないため近所にそんな店はない。唯一の例外として、我が家から徒歩数分のところにある鉄板焼きの店には時々顔を出す。お好み焼き、焼きそば、一品料理と出てくるものが驚くほどうまい。しかも値段が安い。関西に住んで30年以上になるが、所謂“粉モン”は大の苦手でうまいと思ったことは一度もない。しかし、飛び込みでこの店に入ってからは私の“粉モン観”が一変。仕事帰りに寄ったり夕食代わりに家に持ち帰ったりするまでになっている。突然出没するようになった怪しげな風体の私に対して三十代と思える店の主人がいつも同じ質問を繰り返す。
「どんなお仕事してはるんですか?学校の先生かそれとも放送関係の方かって勝手に想像してるんやけど、よろしければ教えてくださいよ。それと、いつも競馬新聞見てはるけど、儲かります?」
「いつもこんな格好(ブルゾン&ジーンズ)で髪の毛もくくってるけど、これでもごく健全なサラリーマンのつもりですよ。馬券は下手でなかなか当たりませんが、若い頃からずっと競馬が好きで」
この手の会話をもう四、五回は繰り返している。探究心旺盛な彼は諦めることなくあの手この手で次々と探りを入れてくる。素性を明かして困るわけでもないが、オフに飲み食いするときぐらいは職場や仕事を忘れて気ままに過ごしたい。それに、たとえ馬券のアドバイスをしたとしても好意が裏目に出るのはまず間違いない(汗)。今後もとぼけたままやり過ごすことになるのだろう。一昨年暮れにある買い物をしようと店舗で用紙に住所、氏名、年齢だけを書き込んで提出したところ、数分後に係員から「競馬関係のお仕事をされてるんですね」と言われて驚愕した。どうやら身元照合の際に人名検索をしたらしく、ネットのこのページと頼りなく笑っている私の顔写真までもが確認されていたようだ。私みたいに金もなければ失うもののない人間でも戸惑うのだから、富裕な著名人は大変だろう。便利になった反面、嫌な時代になったなという気もする。
通勤を始めてからは贅肉が落ち、以前のスリムな体型になったと以前に書いた。しかし、あの一文は自己分析の甘さが出た失敗作。半年が過ぎたあたりから腹部中心にジンワリと肉が戻り、いまや引っ越し前と変わらないポッチャリ体型オヤジだ。環境の変化にすぐ同化する緊張感欠如の性格を考えればこの現実は容易に想像できたはずでもある。暖かくなったら地下鉄のひと駅を歩いて体を絞るプランを密かに練っているが、そもそもトレーニングの類いが大嫌いな私。これも計画倒れに終わりそうだ。もし、私がサラブレッドとして生を受けたとしたなら、競走馬としては学習能力もポテンシャルも水準以下と判断されて早々に抹消されていたことだろう。たとえどんなに忙しくても、そしてどんなに貧しくても、人間に生まれたことに感謝したい。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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