・アグネスラズベリ ・アドマイヤキッス ・アンブロワーズ ・カタマチボタン ・ブルーメンブラット ・ローブデコルテ
・タイセイアトム ・トウショウギア ・マイネルスケルツィ ・メイショウバトラー ・リミットレスビッド ・ワイルドワンダー
1月24日、午後2時すぎにトレセンへ出掛けた。週刊競馬ブックで恒例となっている引退調教師インタビューの企画が暗礁に乗り上げたのだ。相手が指定してきた取材日時とこちらの都合が折り合わず、日程変更を申し込もうにも「この日以外は時間が割けない」というのが相手の返答。頭を抱え込んだ。関西では今年2月一杯で定年となる調教師はいないが、松元省一さんが勇退される。勇退記者会見については以前に取り上げたが、記憶に残る多くの馬を送り出した松元調教師の記事は私自身もぜひ読んでみたい。しかし、勇退する側にすれば厩舎の引き継ぎ、身辺の整理と限りなく多忙で時間が割けないのも当然。一旦はこの企画を断念しかけたが、現場時代に培った玉砕精神が頭をもたげて直接交渉を思いつき、アポも取らずトレセンの門をくぐった。
積もりはしなかったがこの日は早朝から雪。トレセン通用門から目的地イー5棟に着くと乗ってきた車は真っ白。周囲は一面雪景色でごく僅かの馬が午後運動をしている以外に動く物がない。まずは相手を説得せんと張り切って調教師を訪ねたが不在。やむなく大仲部屋で時間をつぶそうと決めた。この厩舎へは10年以上も顔を出していないので知り合いがいるかどうかも判らないが、雪まみれで外で待つよりはいいと考えたのだった。「お邪魔します、先生が不在なのでちょっと待たせてください」と言いつつ部屋に入った私を観察する人物がひとり。うん?口髭に白いものは混じっているが、この彼は見覚えがある。そう思っていると声がかかった。
「歳とったな……。幾つになった?」 「いま56歳、今年の夏で57になるけど」 「なんや、俺たち同い歳やったんやな」 「髭に白いものは混じってても、元気そうやね、東さん」 「大きな病気とは縁がないが、結構体にはガタきてるで」 「あの有馬記念からもう14年か。我々も歳をとるわけだ」 独特の声で相手が東郁夫厩務員だと気づいた。1991年に無敗で皐月賞、ダービーを勝ちながら、その後は怪我との戦いが続いたトウカイテイオー。骨折から再起して1992年のジャパンカップを勝ったが、次には2度目の骨折が待っていた。そして伝説となっている1993年の有馬記念は実に1年のブランクを乗り越えての勝利だった。華々しい勝利の陰に厳しい闘病生活が続いていたのは言うまでもなく、担当していた東さんの日々の献身的な努力がなければトウカイテイオーは2冠馬のまま競走生活を終えていた可能性もある。現役時代のこの馬の独特な繋のやわらかさと品のある体つきはいまでも克明な記憶として私のなかにある。
途中から顔馴染みの調教助手が数人現れて会話に参加。それぞれが久しぶりの人間ばかりで嬉しいやら懐かしいやら。昔話をしていると時間はアッという間に過ぎる。頃合いを見計らってこの日の目的を伝えてその場を去ろうとすると「ウチのテキ怒らせたら怖いで」「諦めて帰った方がいいんちゃうか」とスタッフが冷やかしの声で見送る。松元さんが厳格で筋を通す人間なのは私も熟知している。「誠意を示せば気持ちが伝わる人だから」と答えてその場を去ったが、その昔、いい加減な言動をした記者を叱責したときの松元さんの大迫力に横で縮みあがったのを思い出す。若い頃に受けた強烈な印象というのは幾つになっても心に潜み続けているもの。大仲を出てからはそれなりに緊張しているのが自分で判り、この歳になってなにをと苦笑いした。
「当方の勝手ばかり言って申し訳ありませんが、松元厩舎が生んだスターホースのいろんなエピソードはもちろん、先生のこれまでの競馬人生についても是非お聞きしたいと考えます。ファンも知りたいと思っているはずです。無理を承知でのお願いです。なんとか時間をつくっていただけないでしょうか」
「判った。もう一回日程を調整してみよう。雪のなかをわざわざご苦労さんやったな」
これだけの会話のために1時間半を費やしたが、拍子抜けするほど快く日程の再調整を約束してくれたことで一件落着。「誠意を示せば気持ちが伝わる人」の判断は間違っていなかったと安堵したが、トレセンを去る段になって“一度、キツく叱られてみたかったな”という奇妙な思いが浮かんだ。私がやっと臆せず会話できる世代になったと思ったら相手は勇退を決めていた。もっといろいろ話を聞きたかった人物だけに残念である。なお、この松元省一調教師インタビューは2月25日発売の週刊競馬ブックに掲載予定。トウカイテイオー、フラワーパーク、スティルインラブといった馬たちのファンだった皆さん、どうぞお楽しみに。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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