・エリモハリアー ・サンツェッペリン ・ダークメッセージ ・デルタブルース ・ネヴァブション ・マツリダゴッホ
・アサクサキングス ・ヴィクトリー ・タスカータソルテ ・ドリームジャーニー ・ヒラボクロイヤル ・フサイチホウオー ・ホクトスルタン ・ローズプレステージ
遠距離恋愛をしている女の子の心情を歌うドリカムの“大阪LOVER”。軽快なメロディに乗せた吉田美和ちゃんの関西弁のヴォーカルが乙女心を切々と表現していてなかなかいい。個人的にはかなり気に入っている曲のひとつで、大阪に住む恋人の煮え切らない関西弁に苛立っている様子には思わず同情してしまう。
“「そやなぁ……」って行くの?行かないの?” “「そやなぁ……」っているの?!!いらないの?!!”
簡潔にして飾らない言葉が多い関西弁だが、普段接することのない人間にとっては時として難解であり曖昧にも聞こえるのだろう。私が関西に住みついた頃はこの曲の歌詞と同様に当惑したり苛立ったりの繰り返しだった。
「ほんまに」「ええ本当です」 「ほんまかいな」「だからホントですって」 「嘘やん」「いや本当なんです」 「嘘やろ」「ホントなんすよ」
私が身辺で起こったネタを話すと周囲の関西人は「ほんまに」とか「嘘やろ」といった言葉で反応してくる。ついつい「はい、本当です」とか「嘘はついてません」とまじめに返事をしていたが、しばらくしてあることに気づいた。「ほんまに」や「嘘やろ」は真偽を確かめるためではなく、いわば相槌を打っている言葉だということを。それを相手に確認したところ「俺たちも違和感あったワ。なんでこいつは、いちいち“本当です”を繰り返すんや。ごっつ几帳面なんか、それともまわりくどい性格なんか。どうも会話の波長が合わんヤツや思とった」との返答。お互いに顔を見合わせて苦笑いしたが、いまになって考えれば嘘のような話である。
たとえ同じ日本人同士でも異なる文化圏で育った人間がなんの予備知識もないままに会話をするとこういったことが起こりがち。我が競馬ブック栗東編集局には24名のスタッフがいて、九州、中国、中部、四国、北海道(私だけ)といった地域の出身者も顔を並べているが、やはり数が多いのは関西出身者で全体のほぼ半数を数える。だったら局内は関西弁一色かというとそうでもなく、いろんな言葉が入り混じっている。同じ関西弁でも大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀と地域によって微妙にアクセントやイントネーションが違っており、個人的な印象で言えば大阪弁は直接的でシンプルな言い回しが多く、京都弁は語尾に含みが多いように思える。
地域によって微妙な食い違いがあるとはいっても関西はあくまで関西。関東と比べるとその違いは際立っている。それを象徴しているのが当日版に掲載する談話。関係者のコメントには取材者が受けた印象を◎○△の印で表している。つまり強気は◎でごく普通の感触が○、そしてニュアンスが弱気な場合には△としているのだが、G1レースなどでは関東馬の談話は強気の◎が次々と登場するのに対して関西馬の談話では◎が極めて少ない。圧倒的な西高東低の時代だというのにこれなのである。この背景には「今度は負けられないさ」とストレートに表現する関東人と「今度はええんちゃうか」と気負わずに流す関西人の気質の違いが出ているのかもしれない。
関西に住んで35年以上が過ぎた。当初はごく日常的に使っていた「……でさ」の“さ”や、「……しちゃって」の“ちゃって”を使わなくなっている自分がいる。それまで過ごした関東圏ではごく自然に使っていた言葉なのだが、気負わず飾らずの関西弁に慣れ親しむと関東人の言葉に対してある種の違和感が生まれてくるのだから不思議である。相変わらず語尾だけ関西弁のいい加減な会話でネイティヴな関西人に“偽の関西人”と白い目で見られている私だが、最近は“……ちゃうか”“……ねん”といった語句を普通に使えるようになったつもりでいる。そして、見始めた頃は騒々しいだけの視聴者参加番組だと思った“探偵ナイトスクープ”が、最近は“これぞ関西文化を代表するテレビ番組”と評価して熱中。毎週録画して休日に欠かさず見るようになっている。表現に関してはまだまだ稚拙なレベルの私だが、こと意識は確実に関西人に近づいているようだ。
競馬ブック編集局員 村上和巳