・アサヒライジング ・アドマイヤキッス ・カワカミプリンセス ・キストゥヘヴン ・コイウタ ・ジョリーダンス ・スイープトウショウ ・スプリングドリュー ・デアリングハート ・ディアデラノビア ・ビーナスライン
1976年、春。当時の私は阪大坂下通り(阪急沿線石橋駅近く)でROCK喫茶の店主兼使用人をしていた。伸ばし放題の髪を背で束ねてカウンターに入り、レコードをかけつつ客がくればコーヒーをたてる。開店から閉店まで延々とその作業を繰り返す日常だった。いまでこそ長髪もROCKもそれなりに市民権を得てはいるが、当時はどちらも社会には受け入れられていなかった。長髪にジーンズで街を歩いていると、その姿が気に入らないというだけの理由で通りすがりの人間によく因縁をつけられた。店の近くの女子高では生徒に配布する“夏休みの心得”に「不健全極まりない阪大坂下通りのROCK喫茶には一切出入りしないように」との文面すらあった。
競馬に対する扱いも同様だった。“競馬で借金苦に陥った家族が一家心中”“競馬で負けた男が押し込み強盗”といった類いの三面記事が連日新聞紙面を賑わせ、電車内で競馬新聞や競馬雑誌でも広げようものなら周囲から冷たい視線が注がれるのは日常茶飯事。競馬=社会悪というイメージがこれでもかというほど世間に浸透していた。1977年に競馬記者になった私は就職先や職種をきちんと親兄弟に伝えることができなかった。現代の競馬ファンにはとても信じられないことかもしれないが、当時はそんな時代だったのである。
4月29日。早起きした私は大阪行きの電車に乗った。この日は第73回天皇賞当日で、梅田の場外馬券売り場に出掛けたのだ。1番人気は中島啓之騎乗の前年の菊花賞馬コクサイプリンスだったが、私は田島良保騎乗の関西馬タイホウヒーローを狙った。人込みをかきわけて馬券を買い終え、梅田から電車に乗った瞬間、友人Hの馬券を買い忘れていることに気づいた。彼の狙いは大久保正陽厩舎所属で福永洋一騎乗のエリモジョージ。惨敗つづきで人気薄のこの馬が勝つことはまずないだろうと考えていた私は電車内で引き返すべきかこのまま帰るべきか悩んだが、頼んできたのが時として大穴を的中させる鬼才H。結局は思い直して梅田の雑踏へと戻った。
店のカウンター内で天皇賞のラジオ中継を聴いていた私はイヤホーンから流れるアナウンサーの絶叫に耳を疑った。なんと17頭立て(スリーヨークが取り消し)12番人気のエリモジョージがまんまと逃げ切ったというのだ。Hの狙いは見事に的中。単勝配当は8190円という大穴。サラリーマンの初任給が7、8万円だった時代に彼は16万3800円を手中に収めたのだった。頼まれ馬券を買いに馬券売り場へ引き返してよかったと胸をなでおろした瞬間でもあった。私が狙った8番人気のタイホウヒーローは直線で伸び切れずに4着。無一文になった私が店の常連客とともにHが主催する大宴会に参加したのは言うまでもなかった。
あれから30年以上が経過しているというのに相変わらず獲ったの外したのと馬券の結果に一喜一憂している私。今年の天皇賞をメイショウサムソンが勝った日の夜、都内で人材派遣会社の社長をしているHに久しぶりに電話を入れた。最近は仕事に追われてあまり競馬を見る暇がないと話している彼がこの春の天皇賞の馬券を買ったのかどうか、そしてこのレースをどんな気持ちで見守っていたのか気になったのである。
「馬券を買う前に電話しようとかとも考えたが、どうせ、そんな馬はいらんとか、単勝買うならメイショウサムソンとアイポッパーにつけて馬連にしろとか、常識的なことしか言わんだろうと想像はついたからな。春の天皇賞に大久保厩舎所属のエリモの冠名の馬がいて乗り役が福永。それだけ条件が揃えば洋一(福永)ファンだった俺がなにを狙ったか判るだろ。エリモエクスパイアの単勝を1万円買って見てた。なに?馬連だったら200倍、そんな即物的な思考はいらん。福永という名の騎手に勝たせたくて馬券を買った。それだけのこと。馬連や3連単が何百倍、何千倍つこうが知ったこっちゃない。惜しかったが、結果については納得してるさ」
私と同い年だからもう50代半ばになっているH。にもかかわらず競馬に対する彼の想いは昔とまるで変わっていない。そんな彼と接すると、利害だの打算だのに振り回され過ぎてものの本質を見落としがちになっている最近の自分の姿に気づく。若い頃のように自然体でおおらかに生きつつも馬券の収支だけはなんとかプラスにしたいと都合のいいことを考える昨今だが、それを日常において実践するのは難しい。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP