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最初に会ったのはいまから13年前になる。いかにも都会育ちといった雰囲気の持ち主で笑顔とキラキラと輝く目が印象的。話してみるととても明るくて素直。すぐに顔を覚えたものだった。親代わりの所属調教師同様に彼も江戸っ子で、関西人にはない軽やかな言葉のイントネーションもその明るさを増幅させていた。当時の彼はとにかく人懐っこくて可愛い。そんな10代の若者だった。
1995年に新人騎手としてデビューした彼は一歩一歩階段を上るように着実に成長。日々元気一杯のプレーで自分自身をアピールした。そして数年後、彼は1頭の牝馬と出逢った。リンドシェーバー×サイコーロマン(モーニングフローリック)という地味な配合の黒鹿毛の牝馬は新馬、紅梅S、エルフィンS、4歳牝馬特別(G2)と無敗のまま4連勝を達成。2000年の桜花賞では堂々1番人気の支持を集めることになった。そのサイコーキララのパートナーだったのが彼こと石山繁騎手である。
なかなか思い通りに運ばないのが人生というものだが、桜花賞で人気を裏切ったサイコーキララは続くオークスでも6着に敗退。その後に屈腱炎を発症して、長い闘病生活の末に結局は引退した。G1制覇のチャンスを逃した繁の騎手としての成績はその後次第に下降線をたどっていった。桜花賞の敗因について考えてみると、彼の騎乗がどうこうというよりは、サイコーキララ自身がG1を勝つだけの運を持ち合わせてはいなかったのだと思う。騎乗馬が減った彼はやがて障害に活路を見出すのだが、その先には怪我との戦いが待っていた。
「久しぶりじゃないですか、元気にしていますか。えっ俺?ご覧の通り子どももふたりいますし、障害でしっかり稼がなきゃいけませんからね。ええ、それなりに頑張ってますよ」
休日の街角で偶然会った繁は幼い子どもふたりの手を引きつつ奥さんの買い物に付き合っている様子だった。「パパ、パパ」とまとわりつく子どもたちを巧みにあやしつつ私に対する気遣いも忘れないその姿はいかにも繁らしかった。型通りの挨拶を交わしつつ“怪我だけは気をつけろよ”といいかけたが、口には出さずに飲み込んだ。以前に落馬事故で大怪我をした経験のある彼でもあり、一家団欒のその風景には似つかわしくない言葉だと考えてのことだった。去年の12月の話である。
久しぶりに阪神競馬場へ出向いた2月24日。検量室前で浜田光正調教師とバッタリ顔を合わせた。日頃は温厚な同調教師が口を真一文字に結んだまま険しい表情で横を通り過ぎて行くその姿を見て、障害で落馬負傷した繁の容態が芳しくないだろうことは想像できた。“脳挫傷で集中治療室にて経過観察中”という知らせがその後JRAから発表され、あれから3週間が経過した。生命の危機はなんとか乗り越えたが、意識が戻らないまま現在に至っている。「あとは繁自身の頑張りに頼るしかないな」と漏らす調教師の言葉が切ない。
あとを絶たない落馬事故について考えると胸が痛む。以前にもこのコラムと週刊競馬ブックの一筆啓上で救護体制について取り上げたが、身を守れるものはヘルメットと上半身のプロテクターだけで、危険を承知で競走馬に跨り続ける騎手たち。そんな彼らの人間としての尊厳を守るためにも、JRAは安全対策について最大限の努力を続けて欲しい。そして、笑顔の繁とそう遠くない日に再会できると信じている。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP