・アジュディミツオー ・オレハマッテルゼ ・サンライズバッカス ・シーキングザダイヤ ・シーキングザベスト ・スリーアベニュー ・ビッググラス ・ブルーコンコルド ・メイショウトウコン ・リミットレスビッド
とある事情で私の所有物の一部を整理せざるを得ない状況になった。もっと有体にいうなら長年放置していた本、パネル、記念品といった年代物の品々を整理して、ある程度のものを捨てなくてはいけないという現実に直面したのである。ひとことで整理するといっても、もちろんそれぞれが私にすれば思い出深いものばかり。時間の経過とともに少々色褪せてきているものも少なくないが、いざ手に取ってみると当時の鮮明な記憶が甦ってなんともいとおしい。捨てるべきかはたまた残すべきか。休日はそんな葛藤を延々と続けている。 まずは私がROCK喫茶をしていたときの店の看板。一枚板に皮を張って、その上に白いペイントで店名を書いたものだが、これは最初にその店の常連になったオサムがプレゼントしてくれたもの。彼とは30年近くも会っていないのでどうしているのかもさっぱり判らないが、個人的にはそれ相当の思い入れがある看板でとても処分する気になれない。これを捨てるのは自分自身の青春時代を切り捨ててしまうということ。自分自身にそんな言い訳をして結局はそのまま残してしまっているなんとも意志の弱い私である。 次に扱いに困っているのがJBLのスピーカー。1960年代から70年代にかけての日本では“音楽聴くならJBL”という時代があった。若い頃から音楽好きでいろんな店でいろんな音楽を聴いてきたが、当時はどこへ行ってもJBLの箱型スピーカーが当然のように置かれていた。“よ〜し、いつかオレも買ってやる”と決心して十数年後、念願のスピーカーを購入した私は狂喜乱舞。朝から晩まで音楽を聴きまくったものだった。ところが、10年ほど前に薄型で更にパワーアップしたスピーカーを入手。いまや壁掛けの装飾品と化している古いスピーカーだが、これも結局は手放せそうにない。馬券を買うときもそうだが、決断力に乏しいのが私の欠点である。 次に視界に入ってきたのはアカエリトリバネチョウの標本。競馬好きの昆虫標本商・大谷卓也からプレゼントされた黒と緑の色彩が鮮やかに調和した美しい蝶の標本である。バリ島(だったかと思う)で採集した一羽十数万円はするという貴重なものが三羽あって、20年以上もの間私の目を楽しませてくれている逸品。贈ってくれた卓也が数年前にこの世を去ったこともあって、多少古くはなっていても形見として残しておきたい大切なものである。これは生涯私のそばに置いておくことになるだろう。 部屋の壁のかなりの部分を占めているのが競馬のパネル。その大半がゴール前の写真で、なかでも気に入っているのは1982年の阪神3歳Sのゴール前。内がエリモタイヨーで真ん中がニホンピロウイナー、そして外がダイゼンキング。この3頭が横一線の叩き合いを演じているのだ。なにが気に入っているのかというと3頭すべてが余分な馬装具を一切つけず極限の闘争心を表情に出している点。人馬とも歯を食いしばって戦っている様子がストレートに伝わってくる。ダイゼンキングの単勝を獲ったときには“来年のクラシックはこの馬で決まり”と弾んだ気持ちになったが、その後は体調を崩して1度も勝てぬまま引退。2着だったニホンピロウイナーが短距離のG1を勝ちまくることになる。競走馬の未来を予見することの難しさを実感したレースでもあった。 他にも週報、四季報、馬の置き物、G1の記念品といったものが本棚、机、部屋の片隅に散乱している。数日前に整理に取りかかったのだが、途中で1978年の優駿2月号を発見して作業はすぐに中断した。表紙がテンポイントなら巻頭のカラーグラフは77年の有馬記念特集、そして有馬記念の観戦記の執筆者が寺山修司という歴史的な一冊。何度も読み返しているうちに日が暮れて、気がつけばグラス片手に昔のレースのDVDに熱中していた。こんなことでは今後も整理作業なんて進みそうにないと半ば諦めかけている。 最近はなかなか若い馬を覚えられない。原稿ひとつ書くにも編集カードを何度も見直し、レース映像を繰り返しチェックしなくてはいけない。それでも、原稿を書いた翌日には調べた馬のかなりの部分の記憶が消失している。それだけ歳を重ねてきたといえばそれまでなのだが、許容量に限界があってすでに飽和状態に達している自分の脳の状態を考えると、切り捨てるべきものは積極的に切り捨てるべき時期にきているのかもしれない。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP