・インセンティブガイ ・コイウタ ・ディアデラノビア
・シーキングザベスト ・ジョイフルハート ・トウショウギア ・ボードスウィーパー ・リミットレスビッド
・ウイングレット ・サンレイジャスパー ・ソリッドプラチナム ・マイネサマンサ ・マドモアゼルドパリ ・レクレドール
栗東編集局の私の対面に坐って仕事をしている西村敬の姿が消えて1週間が経過した。15日から小倉へ出張に出かけているのだ。これまでにも同時開催時の週末には中京や小倉へ遠征していた彼だが、4週間行きっ放しの出張は初経験。1週前あたりから準備に追われてバタついていたが、いつも目の前でパソコンに向かっているその姿がないと少々寂しい。いわゆる裏開催のスタッフは中央開催と比べると数が少ないため、日々、ホテルと競馬場を往復して新聞用の取材に大忙しとなる。寝る間も惜しんで予想に没頭するのは言うまでもない。そんな慌しさはあるが、スタッフが少ない分だけでき上がった新聞を手にしたときの達成感は大きい。
私がこの仕事に就いて初めて出張したのは同時開催の春の新潟。いまから30年近くも前のことで、パソコンもなければ携帯電話もないのは当然。新潟競馬場周辺のホテルの数も少なかったため、専門紙各社の取材班は近くの民宿に泊まって早朝に競馬場へ出かけた。調教班はスタンドで各馬の調教時計を採り、想定班の私は現地に入厩している関西馬の出走予定と談話を聞き回った。攻め馬が終了した段階で調教班は宿に戻ったが、私も含めた何人かの想定班は騎手たちを求めて競馬場内の調整ルーム(騎手寮)に押しかけた。調教時間内ではとても取材が追いつかなかったのだ。
本来、調整ルームはマスコミ関係者が出入りできる場所ではないのだが、当時はいまほど規制が厳しくなかったため、貧乏記者の姿に同情したまかないのおばちゃんがこっそりと食事を作って出してくれた。腰のしっかりした新潟米とおかずに出された甘海老の旨かったことといったら、もう仕事を忘れてしまうほど。成り行きで朝からビールを飲まされることも少なくなかった。普段の調教の合い間は口の重い人間でも、一緒にビールを飲んだり朝飯を食ったりしていると意外なほど気さくに本音を喋ってくれた。朝飯タイムの取材ではよく穴馬を教えてもらい、その馬がまたよく穴をあけた。お陰で初めて出張に行った新潟では1カ月で3キロも太った。
私が出張していると知った大阪の友人が新潟の人物を紹介してくれたのもこの年。「古町(新潟の繁華街)では顔のきく競馬好きのオッサンや。どうせ暇持て余しとるんやろから、馬券のアドバイスする代わりに街を案内してもらえ」の言葉にそそのかされてその人物に会ったところ、な、なんと相手はどう見ても素人ではない風体。「市内の一角を仕切らせてもらってます」のひと言にオシッコが漏れそうになった。狙い馬を尋ねられて「馬券下手な私ですから聞いても損をするだけです」と前置きしてアドバイスしたところ、その馬はボロ負け。万代橋から川に投げ捨てられるのを覚悟したが、「プロの方でも外れると知って安心しました。それだけ難しいからこそ競馬は楽しいんですね」と相手がひと言。真の競馬ファンに悪人はいないとしみじみ思った。彼と会ったのはそのときの一度だけだった。当時の馬券といえば穴をあけたペラペラの薄紙でできたバラ券(200円券)と特券(1000円券)だけで、その種類も単複と枠連だけ。そんなおおらかな時代の話である。
水曜日から土曜日までは調教時計を採って各馬の動きを観察しつつ、並行して本紙予想も担当しなくてはいけないというハードスケジュールが続く小倉出張組。仕事に関しては一切手抜きをしない西村だけに時間はいくらあっても足りないことだろう。「2時に寝て今朝は5時に起きました」と金曜朝に話していたが、まだ若いとはいえ睡眠時間が3時間では体がもたない。手を抜けるとこはそれなりに抜いて時間をうまく使い、倒れないようにしろよ。そして、休日にはうまいラーメンと巡り合えるように祈っておく。もし馬券で儲けたら奮発してフグ料理の店にも行ってみるのもいいぞ。この時期の小倉のフグは最高だから。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP