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『風の歌が聞こえる』にしようか。いや、これだと村上春樹のデビュー作(風の歌を聴け)みたいだもんな。ならば、『風が運ぶ祝歌』か、それとも『歌声は風とともに』がいいかな……。時間が経過するにつれて発想がより陳腐なものになって思わず苦笑いしてしまった。なんのことかというと、菊花賞についての原稿のタイトルを考えていたときの話である。神戸新聞杯が終わった翌週にある雑誌社から電話が入った。その内容は、「原稿用紙8枚程度で菊花賞の展望を書いて欲しい」というなんとも物好きな依頼だった。内容については一任するという比較的お気楽な依頼だったので少々心は動いたが、G1連続開催で時間的にも余裕がないために残念ながらお断りの返事をした。 原稿依頼を断りつつも、菊花賞について書くとしたらどんな内容がいいかとあれこれ考えてみた。『メイショウサムソン三冠への道』はいろんなマスコミで取り上げられているし、『三冠最終章に賭けるドリームパスポート』も型に嵌った内容。なにか新鮮なテーマとして取り上げられる馬がいないかと神戸新聞杯のVTRを見直しているうちに、3着に敗れた一頭の馬が気になった。デビューから9戦して4着以下なしの堅実な成績、見るからに若さをのぞかせるそのレースぶりには明らかに完成途上。裏返せば、それだけ伸びしろがあるという解釈も成立する。よ〜し、3000メートルで大変身するのはこのソングオブウインドしかいない。そう結論づけて一旦は気持ちの区切りをつけた。 村上 「ごぶさたしています。私、競馬ブックの村上ですが、覚えていらっしゃいますか?」 相手 「久しぶりですね。ごぶさたしていますが、もちろん覚えていますよ」 村上 「菊花賞、おめでとうございます。いいレースでしたね」 相手 「勝ってくれるとは思っていなかったので、嬉しいやらびっくりするやら。もう大変でした」 村上 「素質のある馬だとは思っていたんですが、本格化はもう少し先かなって余計なことを考えて……」 相手 「担当している私でさえ、4歳になれば強くなる馬だろう。そんな風に思っていましたから」 菊花賞の数日後、週報の取材を申し込むためにソングオブウインド担当の山吉一弘調教助手に電話を入れた。彼と話すのは1998年以来ではないかと思う。この年の春にメジロブライトが天皇賞を制したのだが、この馬を担当していたのが持ち乗りの山吉クンで、勝った翌週あたりに厩舎に顔を出して祝福した記憶がある。それ以降は顔を合わせることなく現在に至っている。 その昔、ハギノカオリという馬がいた。桜花賞候補と注目されていたが、紅梅賞を勝った際に脚を複雑骨折。再起不能で殺処分という診断が下った。しかし、その馬の厩務員は殺処分に反対。「やれることはどんなことでもするから、手術してやってくれ」と周囲に懇願。獣医、オーナー、調教師ともその熱意に打たれ、絶望的な手術に同意した。それから丸3カ月間、その厩務員は昼夜を愛馬の馬房で過ごした。弁当は3食とも奥さんが差し入れた。ギプスをして消耗し切った馬が不安がらないように、風呂とトイレの時間以外は一日中馬に寄り添って過ごした。奇跡的に故障箇所が固まってからも、丸1年は他の場所に移動させず厩舎で面倒を見た。一年後、ハギノカオリは繁殖牝馬として生まれ故郷に帰って行った。この間の献身的な努力が認められ、その厩務員はハギノカムイオー、ニシノライデンといった有力馬を担当するようになった。この人物こそが山吉一弘さんの父・弘さんだった。駆け出しで頼りない厩舎取材班だった私は弘さんから競走馬のイロハを学んだ。 山吉弘さんが厩務員を引退した数年後、トレセンを走り回っていた私はある調教助手に取材した。「いろんなお話、ありがとう。私、ブックの村上といいますが、お名前は?」と尋ねたところ、「えっ、あなたが村上さん、オヤジからよく名前を聞いてました。僕、山吉です」との返答。「ということは、あのカムイオーの山吉さんの息子さんですか」と驚く私。改めて相手を見直したのはいうまでもない。物静かで丁寧なその応対は父・弘さんそっくりで、馬に対する限りない愛情が感じられるコメントもお父さん譲りだった。 一旦はソングオブウインド狙いと決めた今年の菊花賞だったが、データを調べ、幾度となくVTRを見ているうちに気が変わった。イレ込みの激しい気性の勝ったこの馬が3000メートルでスムーズに折り合えるだろうか。ビシビシ追い切ると歩様が硬くなりがちな体質の弱さを考えると、本格化するのは古馬になってからではないだろうか。そう考えた結果、狙いをマルカシェンクに変えた。しかし、レース当日のパドックから本馬場入場の映像を見て驚いた。いつものソングオブウインドと比べるとグンと落ち着きがあり、フットワークにもそう硬さがない。しかも、寄り添っている人物が山吉クンであるのに気づいてふと思った。彼の手腕なら短期間に担当馬を劇的に変えられて不思議ないと。 ゴール前で疾風のような差しを決めた菊花賞のソングオブウインド。武幸四郎騎手の好騎乗も目についたが、完成途上の若駒をあそこまで見事に仕上げた山吉クンの手腕にはただただ敬服した。3日に浅見秀一厩舎の大仲部屋に出向いて改めて挨拶をしたが、そのときに返してくれた優しい笑顔はますますお父さんの弘さんに似ていた。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP