・ヴィータローザ ・オースミグラスワン ・スウィフトカレント ・トップガンジョー ・ニシノナースコール ・ヤマニンアラバスタ
・シーイズトウショウ ・ツルガオカハヤテ ・トールハンマー ・ビーナスライン ・ブルーショットガン ・ワイルドシャウト
「九州の嫁さんの実家へ行ってきた。観光で回った由布岳とか、阿蘇のスケールの大きさには圧倒された。北海道とは似て異なる独特の迫力を感じた。一瞬だけど、生きていてよかった!手術してよかった!って思ったほど。厩舎取材を担当してた頃も含めて、何十回って九州に行ってたオイラだけど、いままではなにをしてたんだろうって思った。この気持ちは単に歳を食ったからだけじゃないだろうな」 友人の松本晃実(テルミ)から久しぶりにメールがきた。この名前だけでこの人物が誰だか判る方がいるとしたら、その人物はかなり古くからの競馬ブックの愛読者である。テルちゃん(松本晃実)は私と同じ1951年生まれで、お父さんが第8回桜花賞(1948年)を勝った騎手の松本実さん(故人)、お兄さんは田中章博厩舎の厩務員さんという典型的な競馬一家で育った。当然のように競馬に携わる職種に就いた彼は私が入社した頃にはブックの先輩厩舎取材班として第一線でバリバリに活躍していた。彼の性格をひと言で表現すると明朗快活。ちょっぴり足は短いが容姿は人並み以上。アホなジョークさえ口にしなければ女性にもモテた。お人よしでユーモア好きの側面がなんとも親しみやすく、周囲のみんなに愛される人物だった。 現場を走り回っている頃にはいろんな逸話を残した。その当時はトップジョッキーだったM騎手とささいなことから口論となり、「新聞屋風情が偉そうなこと言うんじゃねえよ」「なにこのペース音痴の早漏騎手が」と罵倒し合って殴り合い寸前になった話。調教の最中に「あ〜あ、こんな走らん馬の時計なんか採るのアホらしい。こんな糞馬、よう厩舎に置いとるわ」とボヤいたところ、柱の陰で調教を見守っていたその馬を管理する調教師が「テルミ、誰に文句言うてんねん」と激怒した話。桜花賞2着のビッグネームSがエリザベス女王杯の前日調教で転倒、すわ体調に異変があったかと大騒ぎになった朝。寝坊して大きく出遅れてトレセン入りしたテルちゃん(Sの所属厩舎担当)だけがその事実を知らず、出社後に「Sは絶好調。なにも不安なし」と上司に報告。周囲からバッシングを受けた話。そして、仕事に飽きてくると「田舎のばあちゃんが危篤」と申し出て会社を休んだ話。この作戦はその場では通用したが、度重なる危篤事件を不審に思った上司が資料を調べて事実が発覚。テルちゃんは8人から10人のばあちゃんを存在させ、それぞれを順番に病気にデッチ上げていたのだった。この嘘がばれた彼は当然ながらこっぴどく叱られたが、そんな手が通用する時代でもあった。 テルちゃんが肺を悪くして現場をやめたのはいまから10年近く前になる。しばらくは道営担当デスクとして内勤を続けていたが、数年前には普段の生活でも常時酸素ボンベを携帯していないと呼吸困難に陥るまでに症状が悪化。ついには会社を退職した。現場を離れてからというものは、彼を慕っていた熊沢重文騎手や飯田祐史騎手はもちろん、他の厩舎関係者からも何度消息を尋ねられたことか。その度に「肺の状態が悪化して、楽観できないみたいなんだ」と暗い気持ちで答えた私。そして昨年春になって待ちに待ったドナーが現れたことで、テルちゃんは肺の完全移植という大手術を決断した。手術の成功率自体もそう高くなければ術後にキツい拒絶反応が出ることも珍しくはない。生存率がそう高くないといわれる肺移植手術に踏み切る前夜に「明日に決まった。どうなるかは判らんけど、このままなにもせずに死んでしまうよりは戦うべきだもんな」と極度に緊張した様子で電話してきた彼。私は「成功する、絶対成功するから気持ちで負けるな。負けるなよ」と返事するのが精一杯だった。 手術から1年半以上が経過。体調を崩して再入院して心配した時期もあったが、宝塚記念が終わった直後の最多忙時間帯に「やあやあ、村上。ディープインパクト、化けモンみたいに強かったな。俺さあ、外して馬券を買おうかって考えてな、それで……」と電話してきた彼。「ごめんテルちゃん、いま話してる暇ないからあとにして」と不本意ながらも冷たく電話を切った私だが、そんな間の悪さもいかにも彼らしいと苦笑いした。最近は自分で車を運転して我が編集部に顔を出し、九州に旅行できるまでに元気になったのだから、その生命力の強さには感心させられる。冒頭のメールにある「この気持ちは単に歳を食ったからだけじゃないだろうな」という言葉には死と正面から向かい合った人間だけにしか表現できない深みが感じられた。 1993年12月26日、有馬記念当日の阪神競馬場。トウカイテイオーが見事に復活の勝利を飾り、2着にビワハヤヒデが入線してレースが決着。馬番連勝は3290円の好配当となった。このレースの馬番連勝を3000円的中(払い戻し金は98700円)させながら記者席で浮かぬ顔をしていたテルちゃん。不思議に思って事情を尋ねる私にポケットから一枚の馬券を取り出して見せてくれたのだが、それはビワハヤヒデの10万円分の単勝馬券だった。つまり、98700円分の的中馬券を手にしながら、彼のこのレースの収支はマイナスだったのである。この日以来、周囲から“勝負弱いテルミ”と烙印を押されてしまったが、「いまになって考えてみると、テルミは最後の最後まで勝負強さや運を使わずに生きてたんやな。肺の移植手術をしてあれだけ元気になるなんて奇跡に近い。その実、あいつは勝負強かったということなんやろな」そう漏らした編集局・中野秀幸の言葉には説得力があった。 読者の方は「昔の失態を次々に暴露されてしまって可哀想」と松本晃実に同情するかもしれないが、それは間違い。ここで取り上げたネタは比較的平穏で気軽に笑えるレベルのものばかり。刺激が強すぎると判断して紹介しなかった、もっと過激でもっと危ないネタは山ほどあるのだから。そうだよな、テルちゃん(笑)。秋になって涼しくなったら一度競馬場に誘うから、体調を整えておきや。いまの君ならきっと連戦連勝で当たりまくるから、そのときには得意とする「任しとかんね。馬券上手のテルさんやで」の決め台詞を聞かせてや。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP