・エアシェイディ ・エリモハリアー ・タガノデンジャラス ・ブルートルネード ・マイソールサウンド ・マヤノライジン
子供の頃はプロスポーツの選手になることが夢だった。そして、肉体の成長が止まった少年期の終わりにはジャーナリストが理想の職業になっていた。しかし、夢は破れるもので理想はあくまで理想でしかない。そんな現実に気づくのにそう時間は必要なかった。その後は流れに身を任せたままの人生を送って現在に至っているが、スポーツ好きなのはいまも変わりない。だから今年のワールドカップは熱狂した。周囲の人間には「日本なんて3戦3敗で予選落ち。応援するだけ無駄」と宣言しつつ、深夜にこっそり起きてテレビに熱中。覚悟はしていたが、日本の弱さに落胆しつつ悪酔いした。あ〜あ、1988年の函館記念で2着馬を5馬身ちぎる豪快な差しを決めたサッカーボーイのような弾丸シュートを打てるFWが日本に出現しないものか。
決勝戦でフランスのMFジネディーヌ・ジダンがイタリアのDFマルコ・マテラッツィに頭突きをして即レッドカードとなったが、あの場面を見て競馬でも同様のシーンがあったのを思い出した。レース中に他の騎手の頭をステッキで殴って騎乗停止処分を食った人間が二人いたことを。どちらも腕達者で知られた騎手で、相手の若手騎手のあまりにも行儀の悪い乗り方にカッとなって馬を叩くべきステッキで横の騎手を殴ったのだが、レース終了後にはふたりとも「恥ずかしいことをした」と反省しきりだった。頻繁にヨーロッパヘ取材に出向いている知人のサッカー記者によると「黒人、イスラム教徒はもちろん、日本や韓国といったアジアの選手に対するゲーム中の暴言(人種差別)は想像を絶する」とのことだが、だからといってスポーツの舞台での暴力行為は許せない。常に聖人君子たれとは言わないまでも、アスリートたる者はせめてゲームを終えてから相手に抗議すべきだろう。
FIFA(国際サッカー連盟)も揺れ動いている。記者投票でジダンが最優秀選手(MVP)に選出されたが、この決定を取り消す可能性があるという。決勝戦で暴力行為を起こした選手はベストプレイヤーにふさわしくないというのだが、他にもちょっと気になることがある。「かなりの記者が決勝戦の始まる前に(MVPの)投票済ませていたと思われる」とFIFAが発表したことだ。これが事実だとすると首を傾げざるを得ない。ワールドカップの決勝戦が始まる前に記者投票を済ませるのはまるで有馬記念のレース前に年度代表馬の投票を済ませるような極めて無責任な行動ではないか。最終戦がどんな戦いになったのかを自分の目で確かめた上でMVPを決めるのが本来あるべき姿。決勝戦前に投票した記者も記者だが、それを平然と容認しているFIFAの体質も大いに問題となってくる。
冷静に考えると今大会のMVPはイタリアのファビオ・カンナバーロだったのではないか。復活したジダンの活躍は見事だったが、8年前と比べると残念ながらスピードも体の切れも明らかに当時より見劣っていた。そして圧倒的な存在感を示すFWの姿がなかったのも今大会の特徴。予選を含む全7試合で相手チームに与えた失点はオウンゴールとPK戦の2点だけという鉄壁の守備を誇ったイタリア。その主将として、そして守備の要として際立った活躍を見せたカンナバーロ。全試合を通じて警告ゼロのフェアプレーを続けながらチームを優勝に導いたその技術と統率力は見事というしかない。
所詮は素人の目でしかないと言われるかもしれないが、個人的に見て楽しかったのは南米やポルトガルの攻撃的で“勝ちに行くサッカー”だった。しかし、これらのチームはイタリアに代表されるヨーロッパの堅守で“負けないサッカー”にことごとく敗れた。サッカー界の現状を考えると、選手は普段所属しているクラブの過密日程に追われており、国の代表選手が決定しても強化期間が限られる。攻撃の型を浸透させるにはそれ相応の時間が必要となってくるため、必然的に監督は守備を固めることに重きを置く。この流れは今後も加速する一方ではないかと思える。
勝利を掴むためには“勝ちに行かない”サッカーが有効だというのはなんとも皮肉な話だが、スローペース症候群とも揶揄される現在の中央競馬のメリハリの少ないレースにも同様のことがいえそうだ。各馬が流れに乗って綺麗な競馬をするのはそれで結構だが、大逃げを打ったり大胆不敵とも思える追い込みに賭けたりする勝負競馬が見られなくなっているのは寂しい。勝負の激しさ、勝負の儚さが伝わってくればこそレースがより奥深いものになると思うのだが、そんな風に考えること自体がもう時代遅れなのだろうか。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP