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「まずパドックを見て、ふ〜ん、目立たない小柄な馬だなってのが第一印象。一流馬独特のオーラもない。こんな雰囲気で本当に走るのかと半信半疑でした。でも、馬場に出れば別馬みたいに変身して、全身これバネって感じのキャンターをするんだろうなって思っていたんです。ところが、いざ返し馬に移っても、走りに伸びやかさもなければダイナミックさもない。おい、おい、これが三冠馬なのか、大丈夫なのかって不安になりました」
天皇賞当日の京都競馬場で初めてディープインパクトをナマで見た知人Fのレース前の感想だが、その気持ちは痛いほどに判る。私も初めてこの馬を間近で見たときには下級条件馬(失礼ながら)かと思ったほど。迫力もなければ存在感もない。G1馬というのは一種独特の雰囲気を持っているものというのが私のなかでの常識だったが、そんな型に嵌った常識は見事に打ち砕かれてしまったのである。
「終わってみれば凄いレースでした。3分13秒4というレコードも驚異的でしたが、それ以上に、残り3ハロンの地点から先頭に立ってそのまま押し切るという型破りのレース運びには驚かされました。直線では2番手に上がったリンカーンに差されるんじゃないかとヒヤッとする場面もありました。周囲でレースを見ていた人間から“これでもかというレースでディープの強さをアピールしたかったんだろう”なんて声もありましたが、それは違うでしょうね。勝利を確信したゴール前で武豊騎手がお尻を上げてポーズを決めるまでは、人馬とも気を緩められるような場面は一瞬たりともなかったように思えましたから」
ゲートをボコッという感じで出たディープインパクトは例によって後方を追走。周囲に他馬を置かずにポツンと1頭で走らせることで馬自身のはやる気持ちを抑えた。同じ長丁場でまともに掛かってしまった菊花賞を教訓に、折り合いに最大の神経を使っていたのだろう。同時に、そう馬格のある方ではないディープが馬込みに入ってアクシデントに巻き込まれることがないようにとの配慮もあったのは当然。しんがり追走から大外を回るというロスの多い競馬こそが現状ではベターで、他馬とは歴然とした能力差があったのだから。
「最初の2分ほどは苦労しましたけど、なんとか折り合ってくれましたね。2周目の3角(手前)からペースが落ち着いたので、そこからは迷うことなく動いて行きました」(武豊騎手)
このレースのラップを調べてみると、13.0―11.7―11.5―11.9―12.2―12.2―12.0―13.2―12.6―12.7―12.9―12.7―11.3―11.0―11.2―11.3。前半7ハロンまでは淀みのない速い流れを刻み、8ハロンめからは13.2―12.6―12.7―12.9―12.7と一気にペースダウンしている。この地点でペースが遅くなったと体感した武豊&ディープは外からゆっくりと進出を開始。必要以上に脚を使わずに前との差を詰めたのは正解であり、さすがのペース判断でもあった。ただ、残り600メートルの地点で先頭に立つ形は決して望んだものではなかったはず。
掛かる気性の馬は一旦折り合いがついても、その背で乗り手が“フッ”と息を吐いたり軽く咳払いをしただけでガーッと行ってしまうことがあるという。菊花賞当時と比べると折り合っているように見えた天皇賞だが、隙あらばガーッと行こうとするディープと、なだめてそれを阻止しようとする武豊。そんな人馬の極限のせめぎ合いが120秒間ずっと続けられていたと想像できる。だからこそ、ペースが落ちた段階で“これ以上の綱引きは馬の闘争心をそぐだけ”と鞍上が判断したのではないか。同時に“ここからスパートしてどれだけ脚を持続できるか”を試す意図もあったかもしれない。このパターンもレース前のシミュレーションのひとつだったろうから。
4角手前で先頭に立った武豊はそこから気合いをつけて一気にゴーサイン。見慣れない場面に観衆はどよめいた。テレビの画面を見ていた私も“ひょっとして手応えが怪しいのか”とその動きを疑問視した。しかし、その後の動きで彼がなにを考えているのかが理解できたように思う。おそらく、あのまま大外を回ることで生じるコースロスを避けるため、内に位置する馬たちより先に前に出てラチ沿いのポジションを取りたかったのだろう。ゴール前は流してリンカーンと3馬身半差だったが、あのまま外を回っていれば2着との差はもう少し詰まっていたはず。もっと力のある馬が出走していればディープは危なかったという声もあるが、それならそれで違った乗り方を選択して違った結果を出していたことだろう。この天皇賞は欧州の強豪との戦いに向けてのトライアルであり、ハーツクライとの再戦を想定したテストパターンだったのかもしれない。
「当日の出走馬のなかでは軽い方から数えて3番目にあたる438キロでの出走でしたが、レースがはじまるとそれまでとはまったく別な馬になっていました。ふと考えたのは、サラブレッドから無駄なものを全てそぎ落としたのがディープインパクト。つまり、究極のサラブレッドの姿ではないのかということです」
先日トレセンへ出向いたときに武豊騎手にディープインパクトについて尋ねる機会があった。その折に「体は必要以上に大きくないし、攻め馬もあまり本気では走らない。それぐらいでいいんです。レースで走ってくれて故障をしないのが(名馬の)いちばんの条件ですから」と話していたのを思い出す。これで内在する気性の激しささえ解消してくれば完璧な強さを持った馬になるだろうと考えてみたが、そうなるとあの宙を飛ぶこの馬特有の切れ味が鈍りそうな予感もある。生身の馬を完成品に仕上げるのはまさに至難のようだ。
5月8日に池江泰郎調教師が記者会見を行い、凱旋門賞をめざすディープインパクトの今後のローテーションが発表された。負けようのない宝塚記念に敢えて出走するのが少々余分な気はするが、JRAからの強い要請があっただろうことは想像に難くない。まずはとにかく無事でと祈りつつ、秋のロンシャン競馬場で究極のサラブレッドとしての素晴らしいパフォーマンスを見せて欲しいものである。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP