・アグネスラズベリ ・エアメサイア ・コスモマーベラス ・ダンスインザムード ・チアフルスマイル ・ディアデラノビア ・マイネサマンサ ・ヤマニンアラバスタ ・ヤマニンシュクル ・ラインクラフト ・ロフティーエイム
1996年12月5日、朝。ナイスネイチャ(牡、ナイスダンサー×ウラカワミユキ)が生まれ故郷の牧場に帰って行った。現役時代に重賞を4勝、1991年から1995年まで5年連続で有馬記念に挑戦して3、3、3、5、9着。G2を3勝しながらもG1には縁がなく、3着が多いことからブロンズコレクターと呼ばれてファンに親しまれた個性派ランナーだった。この日は夜来の雨で肌寒い生憎の気候だったが、関西圏はもちろんのこと、東京や九州からも別れを惜しむファンが30人ほど詰めかけた。松永善晴厩舎の担当だった私は取材を早目に切り上げて見送りに参加したが、牧場に帰る馬運車になかなか乗り込もうとせず、見送る人間たちの方を何度も何度も振り返っていたナイスネイチャの姿はそのまま記憶に残っている。
「レース当日に輸送するときなんかは自分から進んで馬運車に乗り込んでいた。乗るのを嫌がったりすることなんていままでに一度もなかった。もうこの場所には戻れないということをナイスネイチャ自身が本能的に判ってたんじゃないかとしか思えない。娘は娘で“牧場へなんか返さないで家でみんな一緒に暮らすんだ”って駄々をこねてたし、俺もいつになく切ない気分になったよ」
ナイスネイチャを積み込んだ馬運車の姿が視界から消えた直後に担当の馬場秀輝厩務員が漏らした言葉である。ファンを大事にすることで知られる彼だったが、不幸にも数年後の交通事故で死亡した。ナイスネイチャを通じて知り合った競馬ファンの結婚式に立ち会った帰りの出来事だった。
2001年5月14日、午後8時すぎにチェックメイト(牡、シャーディー×コウマンサウンド)が疝痛で死亡した。デビューから35戦目にして重賞初制覇を達成した遅咲きのタイプで、重賞を連勝してG1(安田記念)へ初挑戦することが決まった矢先の出来事だった。山内研二厩舎担当の私が知らせを聞いてかけつけたときにはもうその姿がなく、ガランとした馬房にはひっくり返したカイバ桶が祭壇代わりにポツンと置いてあった。そして、その上にはチェックメイトが好きだった果物に加えて花や線香も供えられていた。
「40年間ずっと馬の世話をしてきたけど、担当馬が怪我をしたり骨折したりしたことはあっても、死なせてしまったのは初めて。こんなにつらくて寂しい気持ちはもう味わいたくない」
その年の11月に定年を迎えることになっていた担当の川口菊次郎厩務員。ベテラン厩務員と虚弱体質を克服してG1に挑むまでに力をつけた頑張り屋のチェックメイト。そんな人馬の二人三脚の日々を応援しつづけてきた私だが、馬房の前で悄然と立ち尽くす川口さんにはかける言葉がなかった。
年間3000頭を超えるサラブレッドが出入りする栗東トレセンには人と馬のたくさんの出会いがある。そして、その出会いの数だけ別れがある。
昨年11月に種牡馬ナリタトップロード(サッカーボーイ×フローラルマジック)が心不全で死亡した。週刊競馬ブックでは追悼記事を掲載し、このコラムでもその過程の裏話を紹介した。その際に、現役時代に同馬を管理していた沖芳夫調教師から丁重な挨拶があった。人にも馬にも優しいこの人らしい言葉で。
「遺骨を分骨してもらって栗東へ持ち帰りました。しばらく厩舎で供養して、それからしかるべき場所に移そうと考えています。場所が正式に決まりましたらお伝えしますので、ファンの方にお知らせ願えますか。トップロードに別れを告げたい関西のファンの方がいらっしゃるかもしれませんから」
5月1日、沖調教師から「本日、分骨して厩舎に置いていたトップロードの遺骨を神戸の妙光院に移しました」という電話をいただいた。この神戸市中央区の妙光院には日本最大の馬頭観音菩薩像があり、その裏には愛馬供養塔もあって、テンポイントをはじめとする多くの馬たちのタテガミが奉納されているという。馬の保護神として信仰されている馬頭観音。一度機会をつくって神戸まで出向いてみようかと思う。
競馬ブック編集局員 村上和巳 馬頭観音妙光院(神戸市中央区) 《交通手段》JR神戸(東海道)線・阪急神戸線・阪神本線・地下鉄三宮下車、神戸市営バス2系統阪急六甲行・18系統JR六甲道行、青谷停から徒歩5分。または阪急神戸線六甲駅下車、神戸市営バス2系統・18系統三宮行、青谷停から徒歩5分。またはJR神戸(東海道)線六甲道駅下車、神戸市営バス18系統三宮行、青谷停から徒歩5分。
(種牡馬時代のナリタトップロード)
◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP