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4月19日、久しぶりにやってきた早朝のトレセン。駐車場から坂路コースへとつづく坂道の途中でひとりの人物と会った。青いヘルメットをかぶって右手にステッキを握り締め、駆け足で坂道を上ってるその姿は間違いなく騎手である。最初に発見した段階では相手が誰なのかさっぱり判らなかった。現場にいた頃は関西の騎手ならシルエットだけですぐに相手が誰か見分けられるのが自慢の私だったが、相手との距離が10メートル、5メートルと縮まってもさっぱり誰か判らない。私は坂道を下り相手は坂道を上る。すれ違う瞬間に顔を見てアッと思った。相手は関西のトップジョッキーだったのである。
私 「おはようございます」 彼 「……おはようございます」
交わした言葉はそれだけ。私は相手のことを認識できたが、彼は声をかけられたから反射的に挨拶しただけ。「わけの判らん怪しげなオッサンだが、まあ声をかけられたんだから挨拶だけはしておこうか」といった程度の気持ちだったのだろう。
いまから何年も前の話だが、「兵庫競馬所属の若手騎手が初めて中央に乗りにくる。どんな馬でもいいから騎乗馬を探してやってくれないか」と知人に頼まれた。それで当時担当していた田所秀孝調教師に事情を説明。イシヤクモンドという馬を用意してもらった。その馬はズブさばかりが目立って道中はいつも最後方。直線でもなかなかスピードが乗らないタイプだった。ところがレースでは発馬を決めて好位を追走。なんと3角では先頭に立ったのである。結果的には直線でバテて5着に終わったが、あのズブい馬を3角で先頭に立たせただけでも驚愕であり、そのパワフルな騎乗には背筋がゾクっとした。 「とにかくズブいから気を抜かせずに乗ってくれとレース前に調教師に言われて……。レースではスッといい位置につけられました。でも、途中で気を抜かれると困ると思って気合をつけながら乗ったのが失敗で……。園田あたりならあのパターンでも結構粘れるんですが、中央の馬場は予想していた以上に広くて直線も想像していたよりもはるかに長くて……。残念な結果になってしまいました」
レース直後のコメントだが、JRA初騎乗だったこの日(ナリタトップロードが菊花賞を勝った1999年11月7日)、京都競馬場の広さに面食らった様子を飾らず正直に告白している素朴な人柄には好感が持てた。「結果は5着だったけど、あのズブさの塊みたいな馬をスッと前に行かせるんだから凄い。中央に慣れれば相当な騎手になるぞ、あの岩田って子」は田所秀孝調教師の感想だった。
それから数カ月後の休日にぶらりと笠松競馬へ遊びに出掛けた。ちょうど開催の最終日だったこともあって、その日の夜は顔馴染みの安藤勝己騎手と現地で酒を飲むことになった。彼がまだ笠松所属の騎手だった頃の話である。酒が進むにつれて競馬談義になり、そして騎手談義になった。そんなときに話に出てきたのが上記の岩田騎手。彼がまだ中央で初勝利を挙げる以前のことである。
「まだ中央で結果らしい結果を出していないけど、あの岩田って騎手はうまくなるよ。とにかく、あいつが乗ると馬が動く。見ていて惚れボレする瞬間がある。騎手として非凡なモノを持っているから、あとはアタマをどれだけ使えるかだね。頭を使うとはいっても、賢いとか切れるとかじゃなくて、競馬という競技のなかでどれだけ頭を使えるかということ。まあ、俺だって決して賢い方じゃないけど(笑)、そういったことはキャリアを積めばある程度は解決できるものだからね」
ひとしきり二人で岩田談義をして、「今後が楽しみな逸材」ということで意見は一致した。あれから数年が経過。当時からすると信じられないことだが、いまや武豊と安藤勝己の対決が、武豊と岩田康誠の叩き合いが毎週見られるようになっている。凄い時代がやってきたものである。
村上 「もうトレセンは慣れましたか」 岩田 「……中の様子は判ったけど、外の様子はサッパリ」
調教の合い間にもう一度だけ会話をしてみたいと声をかけたところ、それなりの返事をしてくれた岩田騎手。しかし、正直なところその反応だけでは心中が掴みきれない。声をかけたのが得体の知れないこの怪しげなオッサンだったということも大きいのだろうが、彼の茫洋とした言動は常識の枠を遥かに超えているように思えた。その昔、彼とよく似た雰囲気を持つ馬乗りの名手がいた。天才型の騎手というのはこういう人種をいうのかもしれないとふと考えたが、現段階でそんな二人を比較するのは軽率かもしれない。もう少し岩田騎手の活躍を見守ってからでも遅くはないだろうから。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP