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話は1986年に遡る。ダイナガリバーがダービーを制してメジロラモーヌが牝馬三冠を達成した年のことである。この年、私は夏の北海道へ出張した。まだ札幌→函館の順番に開催されていて、札幌競馬場ではダートのレースしか行われていない時代(1990年に芝コースが完成)だった。東京経由で札幌入りする予定を組んでいた私は東京競馬場で人気薄の馬の単勝を握り締めてダービー観戦。内々を巧みにさばいて直線で一旦は先頭に立ったその姿に思わず熱狂した。結果は2着で馬券は紙屑になったが、悔いの残らないレースだった。レース後の検量室で2着馬の騎乗者Aは下記のような台詞を口にした。
「現時点でのこの馬の力はフルに引き出せたと思っている。一瞬は夢を見られたしね。そういえば、明日から札幌へ出張に行くって言ってたけど、山本厩舎のアンチャン(松永幹夫騎手)にはおおいに注目すべしだよ。鞍はまりはいいし、性格も素直。楽しみな新人だから」
3〜4コーナーで前を走る先輩騎手に「すいません」と申し訳なさそうに声をかけつつ抜き去って行く新人騎手。声をかけられた先輩はレース後に「勝負なんだからそんな気遣いは無用」と苦笑いしつつその新人にアドバイスしたというエピソードがある。真偽のほどは判らないが、いかにも松永幹夫騎手らしい話ではある。そんな彼はレース後のインタビューで騎乗馬の悪口を一切言わない騎手でもあった。「気の悪い馬」は「まだ馬が若い」であり「能力のない馬」は「まだこれからの馬」と表現した。その背景には“馬あっての騎手”であり、“一頭の馬はたくさんの人間の夢を背負って走る”という認識があったのだろう。大事なことである。そんな彼に対して信頼の輪が広がるのにそう時間はかからなかった。Aの言葉通りに札幌、函館で勝ち星を量産した“山本厩舎のアンチャン”は一気に一流騎手としての階段を駆け上がった。
「一流と呼ばれるようになってもデビュー当時の謙虚さとひたむきさを忘れずに人に接することができる。そんな姿には感心します。なかなかできるものではありません」(沖芳夫調教師)
「日常生活でも誠実な人柄がにじみ出ている。そんな様子を見守っているだけで楽しくなる。チアズグレイスで桜花賞を勝ったとき(2000年)のことはいまでも忘れない」(山内研二調教師)
「G1では別な人間が乗ると決まっていたファインモーションなのに、条件戦できちんと競馬を教え込んで結果を出してくれました。なおかつ、“いい経験を積ませていただきました。ありがとうございます”と頭を下げてくれた幹夫君。打算のない言動には心を打たれました」(伊藤雄二調教師)
2月25日の午前中。正確に書くと日曜の出馬発表を終えて当日版の関連原稿の処理を終えてひと息ついた午前11時前になって、JRAのホームページで松永幹夫騎手の特別サイトを発見。「長年にわたる松永騎手の功績をたたえ特別サイトを開設いたしました。初勝利から昨年の天皇賞・秋(G1)までの数々の活躍を映像、画像でご覧いただけます。どうぞ、お楽しみください」という添えられた文章にも誘われて、気がつけばすっかりパソコンの画面に見入ってしまった。
レースで思い通りに乗れずに悩んでいた時期もあったろうし、調教中に馬に蹴られて腎臓を摘出する大怪我をしたこともあった。そんな彼の20年間の騎手生活は第三者が考えるほど順風満帆なものではなかっただろうに、いつも馬をいたわりつつ人に対しても気遣いを忘れなかった松永幹夫騎手。38歳での引退は少々早い気もするが、馬づくりという新たな仕事でも彼一流の誠実さで結果を出してくれることだろう。
20年間ご苦労さま、幹夫さん。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP