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10月21日、木曜日。栗東トレセンの調教スタンド3階の記者席にひとりの中年男性が姿を現した。調教が始まる午前6時を前に、報道陣を集めて記者会見を行ったのである。数十人もの競馬記者、放送記者たちが集まったその場で、彼は帽子を取って深々と頭を下げた。
「大変申し訳ない結果になってしまいました」
冒頭に謝罪の言葉を口にした松田国英調教師の記者会見は、管理馬キングカメハメハが右前肢に浅屈腱炎を発症。翌週に控えた天皇賞の出走を断念するという苦渋に満ちた発表だった。3階記者席は騒然とした。現役最強馬の突然のリタイアは青天の霹靂であり、信じられない悲報でもあった。そして、管理馬の故障を発表する場で冒頭に調教師が報道陣に対して謝罪した例など過去に記憶がない。
松田国英調教師、54歳。競走馬を生産する牧場の息子として北海道で生まれ育ったが、競馬マスコミを志望して関西へ。数年間の競馬記者生活を経て、調教助手に転身。その後、幾多の試練を乗り越えて見事に調教師になった努力の人である。
最初に会話したのは20年ほど前の札幌競馬場。持ち乗りの調教助手として担当馬と一緒に現地へ出張していた彼に取材したところ、快く応じてくれた。当時は駆け出しの質問魔だった私に対して、ひとつひとつの質問に親身になって答えてくれた。オフに連れて行ってもらった小樽の寿司屋、なんとも言えず風情があった札幌のバーなど思い出は尽きない。
助手時代に調教で落馬して重傷を負ったときはケイバブック週報を携えて毎週病院に顔を出した。ベッドに横たわったまま身動きできない状態にあっても、「試験に合格したらいままでとは違う新たな調教師像を作りたい」と、かたときも情熱を失わずにいた彼。そんな姿に私の方が幾度励まされたことか。
「キングカメハメハに不安発生」の噂は記者会見が行われる前日(20日)に耳にしていた。「体調不備」「馬場入りせず」「天皇賞断念確実」といった情報が次々に入り、関東、北海道の同業者や競馬メディアからの問い合わせも少なくはなかった。しかし、調教師の立場を考え、厩舎取材担当者の立場も考えて、問い合わせには「明日の記者会見まで事実関係は判りません」とだけ答えた。競馬ブック・ホームページのトピックス欄でもこの未確認情報は取り上げなかった。管理責任は調教師にあっても、個々の競走馬の所有権はあくまで馬主のもの。愛馬の異変について馬主に連絡が入る前に新聞記事となったために、双方の信頼関係が崩壊した例は少なくない。加えて、信頼できる正確な情報だけを伝えるのが弊社の役割だと考えているから。スキャンダルやスッパ抜きなどの記事は不要なのである。
松田厩舎としては2001年のJCダート馬クロフネ、そして2002年のダービー馬タニノギムレットに続くG1馬の突然の故障。消長の激しい競走馬の世界に故障はつきものともいえるが、第三者の我々でさえ落胆したのだから当事者の衝撃は想像を絶するものだったろう。なのに、記者会見の冒頭で謝罪を口にした松田調教師。その言葉からは競馬ファンに対する真摯な想いが伝わってきた。常にファンの存在を忘れない調教師生活―決して作りものではないその姿勢にはいつも感心させられる。そんな松田厩舎のことだから、キングカメハメハの後継馬が出現するのもそう遠い日のことではないだろう。時間ができたらケイバブック週報片手に厩舎へ顔を出してみようかと思っている。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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